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氷式冷蔵庫

むかし、子どもの頃、我が家に、氷式冷蔵庫あった。
2ドアの木製で、中はブリキかなにか、金属で内装してあって
上の棚に、氷屋さんに配達してもらった角氷をいれ
その冷気で、下の棚に入れたものを冷やすしくみ。
氷が溶けた水は、目皿から管を伝って一番下の容器で受ける。

むかし、子どもの頃、我が家にミキサーがあった。
近所でも珍しかったらしいけれど、わたしの子どもの頃には
母は面倒がって、つかってくれなかったから、
紙箱にいれて、棚の上に置かれていたっけ。

どっちも、亡父が、自分の母親のために買ったのだと、あとできいた。
「当時としては贅沢なものを、自分の母親のためには買ってあげて・・・」
と、いう声を聞いたのは、誰からだっただろう。

父の母、わたしの祖母は、わたしが3歳のときに亡くなっている。
寝ていた様子は、おぼえている。どの部屋で、どの向きに寝ていたか。

「○○(ひだねこの名前)がくんで来てくれた水が一番おいしい」
と、言ったのは、実際の記憶として覚えているのか、
あとで大人が言っていた事を聞いたのが、自分の記憶として残っていたのか・・・

いずれにせよ、亡くなると分かっている人にも
出来るだけの事はしてあげたい、という気持ち。父の気持ち。
今の、わたしの気持ちと同じだな、と思う。

その父に、わたしは、何をしてあげただろう。
受験勉強する隣の部屋で、尿瓶をつかっていた父。
糖尿病特有の臭いに、嫌悪感をもって、ただ嫌っていたわたし。
若気の至り。父親に反抗したまま、別れてしまった。それだけが悔やまれる。
仲直りして、大人同士として、酒など一緒に飲みたかった。

逆に言えば
わたしは、父を介護中の母を、たいして手伝わなかった。
学生で、親の事より、自分の事でいっぱいいっぱいで・・・・

父はわたしが子どもの頃から糖尿病で、入退院もくりかえし
食餌療法など、母の努力も生半可ではなかったとおもう。
晩年は、歩くのもおぼつかなくなり、目も不自由になり、皮膚も・・・
特に首筋など襟にこすれて、痛々しかったのが目の奥に残っている。

ただひとつ、晩年の父にわたしがしてあげたことは、
足のツメを切ってあげた事。そのことに感謝されたということ。

なんか、ちょっと、思い出してしまった。
バーサンのために、使うかどうか分からないクーラーを買ってしまった夜に。
by hidaneko | 2008-07-15 00:01 | かぞく | Trackback | Comments(0)


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