昨日(土曜日)のことなんだけど
遅めの朝に目をさましたバーサン、オムツを替えて起こそうとしたら「胸が痛い」という。
「ここんとこが、痛とうて、痛とうて。息ができねえくらいなんだ」
お乳の上のあたりをさすってやると、「そう、そこそこ」
血圧を測ろうとしても、大きな声で「胸がいたい、胸が痛い」
「ちょっと血圧を測るから、黙っていてね」というと
こんどは、口をむすんで、りきんでしまので、正確に測れない。
それで測ったのが、上が170くらい、下が90くらい。
熱はない。咳も吐き気も無い。顔色は、よい。目の光もしっかりしている。
胸をさすってやると、気分がおちつくみたいだけど、
ごめん、わたし、まだ手のひらの皮膚感覚が変で、長いこと撫でていると痛むんだ。
バーサンは、まるで呪文かお念仏をとなえるよに「胸が痛い、胸が痛い」を繰り返す。
普通でみたら、かなり切羽詰まって痛がっている感じだけど、
バーサンの場合すこし割り引かないといけないのだ。
というのは、去年、痰が絡んだ咳で大変だった日々、
夜中に水分補給に吸い飲みで水を飲まそうとして、
吸い飲みの口を、バーサンの唇にぶつけちゃったことがあるの。
そしたら「口が痛い、痛い」と大声で30分くらい言い続けていた。
ほんの少し、軽く、トンと当たっただけで、そう痛いはずなにのに。
だから今回も、どの程度痛いのか見極めがつきにくい。
そういえば、ボーズくんが来ると言っていた。相談にのってもらえたら助かる。
11時頃になると言っていたけど、できたら早めに来てもらえないか、メールした。
「バーサンが胸を痛がっているの。ちょっと診てもらえないかな」と。
そうこうしているうち、バーサンは、おちついて、眠りに入った。
で、追伸メール。たいしたこと無くて、落ち着きました。と。
11時ころ、ボーズくんから電話で叱られてしまった。
宿直あけとかで、疲れたような、イライラの声だったけど。
「ぼくが行っても、わかるはずないだろ。検査とかしなくては。
大変なときは、ぼくにメールなんかしている間に救急車を呼んでよ」と。
「でも、おばちゃんの言い方は大げさなときがあるし、
ちょっと診てもらって、救急車の必要があるかどうか、
しばらく様子を見てもいい物なのか、聞きたかったの」と、わたし。
「だから、そういうことは、ぼくが診ただけじゃ分からないんだよ。
迷ったときは、救急車を呼んでよ」イライラ声のボーズくん。
「わかった、ごめん。夜勤あけで疲れているのに悪かったわね。
こっちに来るの、ゆっくり休んでからでいいよ」と、わたし。
電話を切った跡で、「けち!」と思ってしまった。「いぢわる」と。
ちょっとくらい、相談に乗ってくれてもいいじゃない、と。
すくなくとも、素人のわたしより、わかるはずだもの、と。
でも、また、思い直した。
ボーズくんの言葉は、医者として当然の言葉だったと。
卵のカラがおしりについているようなヒヨッコでは、検査してみなくては、と言うのは当然。
「緊急な場合は、待っているより、すぐ救急車を」というのも、うなづける。
経験を積んだ医師でも、いきなり担当でもない患者をみせられたら、
プロだからこそ、いろいろな場面を想定して、より慎重になるだろう。
たとえば、デザイナーに年賀状をたのむと、めっちゃ時間がかかる。
気軽に、ささっとやってくれたら、と思っても、プロだからこそ時間がかかる。
たとえば、文章書きに、ちょこっと一文、と頼んでも、時間がかかる。
一週間も考え込んでいたりする。気軽に、ささっとはできないものらしい。
たとえば、プロの歌手に、いきなり「ちょっと歌ってみてよ」というのも、無理な相談。
プロの書道家に「さらっと一筆、表札を書いて」と頼むもの失礼なこと。
以前、3人の子どもを持つ母親がいってたっけ。
「案外、親のカンってあたるのよ。
子どもが夜中に発熱したときなど、すぐ医者に駆け込んだ方がいいのか、
夜中に騒ぐより、朝を待って、受診した方がいいのか、というような時。
ふだんの状態を知っている母親の目って、案外、信用していいのかも」と。
これって、介護でも言えるかもしれない。