モグの就職が決まった。
昨日、9月14日の金曜日の午後、電話が来た。
10月から勤めることになるという。
電話が来た時、モグとハグして祝った。
「今日はクリニックで先生にいい報告ができる」と、元気にでかけた。
もぐの診療のあいだ、わたしは、近くのスーパーで、
モグのだいすきなぶどう、シャインマスカットを購入。
(家に帰って、ふたりで食べたら、なんと甘かった!)
なん年ぶりの仕事だろう。
ハウスのスタッフとして務めたことあるけど、利用者の延長という感じで
時間も一般企業と比べて楽だったし、人間関係もできていて。
そのまえは、派遣でイベントの企画などやっている会社へ。
障害者ということを隠して派遣会社に登録して、そこからの仕事。
まじめに、残業もこなし、ガンガン仕事して3ヶ月でダウン。
風邪をきっかけに休んで、そのままずるずる布団から出られなくなり・・・
数日から、1週間、2週間、やがては首。
そしてその後は、家で寝たり起きたりの生活。昼夜逆転。
これがお決まりのコース
やればできる子なんだ。
で、やりすぎて(自分の持てる力以上に頑張って)潰れる。
その「塩梅」、調節がうまくいかない。
やれるから、周囲も仕事を押し付け、断れない子だから引き受ける。
家にまで持ち帰って、仕事のことが気がかりで、夜も眠れず……って。
家でダラダラ過ごすのも仕方ないか、と諦め欠けていたわたし。
いざとなったら、文化的で最低限度の生活、生活保護を受けるのも手だと。
障害者年金では暮らしていけないからね。そう思っていた。
でも、モグは、自分から就職しようという気になってくれた。
(わたしは、私の死後のことも気になってたけど、モグに仕事しろとは言ってこなかった。
これまでの経験から、モグを苦しめることになることを知っていたから。
コールセンターに務めて、突発性難聴で耳を壊したり、
デパートの繁忙期、お中元センターに行って、研修期間で潰れたり、
便器のショールームに務めて、頑張って勉強して、あげくにポイになったり、
その都度、仕事を辞めた後の反動で、数ヶ月の不調、お布団モグちゃん。
そうならないよう、モグが楽に呼吸して、美味しくご飯を食べられるよう、
そういう場所を求めてた。探してた。
モグも、バカじゃないから、あれこれ障害者施設など調べていたり、
市や県の障害者に関する条例作成委員会のメンバーになったりして
障害者の雇用について、物を言ったり、当事者の意見を述べたりしてた。
もちろん、自分の書障害と、仕事についても考えていたはず。
親子でそういう会話はあまりしないけど、わたしは見つめてはいた。口出しせずに。
娘のことを知っていて、心配してくれるわたしの友達もいる。
ありがたいことだ。
その友達が、アドバイスしてくれると、それをモグに伝えている。
もぐもそれを、ありがたいとおもっている。
そしてまた、自分の進む道をさがしてた。
今回のは、市の障害者向けのサポートを利用しての就職活動だったという。
地元の大きな企業で、その事務センターには車椅子の人や精神障害者のひとも数人務めているという。
企業側でも、障害者を雇うということについて理解があるようだ。(モグ談)
なにかあったら、間に、市のサポートに入ってもらえる。
企業からモグへの注文や、モグから企業へ言いたいことがあったときなど、その仲立ちをしてくれるという。
そこが、安心。
親としては・・・・・
まあ、2、3ヶ月も続けばいいさ、と内心、思っている。
9時半から午後3時半まで。
一般的には長くはないが、家にずっといたものにとっては、長い時間だ。
6ヶ月の研修期間をうまくすごせるといいんだけど・・・と思っている。