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無花果・いちぢく(草木への思い)

この木は運の強い木だ。
わたしが子供の頃から幾度か面倒なことになりながら生き延びてきた。

最初は無花果は2本あったのだ。わたしの子供の頃も、大人になって帰ってきて、子育てしている頃も。
そのうち、カミキリムシがついて、片方が枯れてしまった。カミキリムシは、多分ゴマダラカミキリ。この虫は木の幹に卵を産む。孵った幼虫は木を食べながら育つ。木に小さな穴が空いているからわかる。

この時期にノズルの細い殺虫スップレーを穴に差し込み駆除するといいのだが、なにしろ奴らはわたしの手の届く範囲にいるとは限らない。手の届かない高い幹にも穴をあけるので始末におえない。そのうち木に開いた穴からボロボロと小糠のような糞がこぼれだす。幹をかじるとき、根から栄養や水分を吸い上げる導管も噛み切るので、栄養が行かなくなり、その先の枝は枯れる。
片方の、柘榴より門よりに植えられていた無花果は、ゴマダラカミキリにやられて枯れてしまった。

だが一方の、物置小屋と自転車小屋の間に植えられていた無花果のほうは、生き残った。夜中など、いや日中でも静かなときは「キリキリ キリキリ…」とカミキリが木をかじる音がする。成虫は葉もかじる。葉にとまっている此奴をみつけると、母は頭と胴体を引きちぎって投げ捨てた。あるいは、葉からこぼれ落ちたカミキリを踏み潰していた。

この、物置小屋と自転車小屋の間に立っていた無花果は、程よい木陰をつくってくれていた。子供たちが小さかった頃は、下にビニールプールを置いて水浴びをしたり、ゴザをしいてままごとをしたりしていた。
秋に熟す果実は、やはりわたしが木に登り、物置小屋の屋根に移って実をもいだり、また木に戻り、次は自転車小屋の屋根に移って実をもいだり。この木も、わたしの手の届くように剪定していたから。
ぽっていりと実が大きくなり、薄紫に白い粉をふいて、おちょぼ口のように紅色の口をすこし開けた頃が一番美味しい。市場で売っている無花果はまだ青いものを売っていたりする。濃い赤紫になったのも美味しい。

もいだ実は、友達に配ったりした。木で熟した実は甘く、とろりとしていて好評だった。心待ちにしてくれている友もいた。竹製の浅いカゴに無花果の葉をしき、そこへ紫色の無花果を並べ、また葉をかぶせ、近所へのお届けものにもした。

まだ2本の無花果の木があったとき、よく、やんちゃ坊主が実を盗みにきた。門をくぐってこっそりと、実を取りに来るのだ。でも、その子たちは無花果の食べ方を知らない。熟したのを見分ける目もない。まだ未熟の果実を半分にちぎって、食べかけで地面にすててあったりする。
わたしの子供の友達が遊びにきたときには、母は「無花果は、ね。こうやって、付け根のほうからバナナの皮をむくように、皮をむいて食べるんだよ」と教えていた。

雨が降ると無花果はまだ未熟で青みが残っていても口を開ける。おちょぼ口ではなく、母言う所の「あっぱん口」を開ける。その開いた口に雨水が入るとそこから腐る。腐らないまでも酸っぱくなって味が落ちる。雨が降り、無花果が口を開けると、傷む前にすべて採る。生で食べてもおいしくないから、皮をむいて水で煮て砂糖を加え「いちぢく湯」にした。また皮をむいてジャムにした。

秋が深まり気温が下がると、実が熟すのも遅くなる。口をあけずに熟しながら青みの残っているものは、すこし早いかなと思うものもすべて採って、甘露煮にする。皮のまま、なり口だけ硬いから切り取り、丸ごと水を入れずに砂糖だけで、弱火でふつふつ煮るのだ。これはお正月のご馳走になる。

無花果の思い出はつきない。
ゴマダラカミキリのせいで、門に近いほうの無花果が枯れたとき、もう一方の無花果も枯れかけたのだ。幹は穴だらけになり、殺虫剤もおいつかず、立ち枯れになろうとした時、ひこばえが生えてきた。木の根元から、わき枝が生えてきたのだ。やがて、本体の幹は切ることになるのだが、ひこばえがぐんぐん育ち、立派な幹になった。

けれど、そのころからカラスの被害が多くなった。実が熟して、そろそろ食べごろかな、という前の日に、カラスがやってきて実を啄むのだ。ギャアギャアと鳴きながら、小屋のトタンの屋根をあるくカチャカチャという音が混じる。鳥よけにCDを吊るすといいとか、樹全体に網をかけるといいとか、いろいろ聞くけれど、そのころは、わたしは介護生活に入っていて、鳥に対抗する余力がなかった。たまにカラスの目がとどかなかった葉陰の実を採ってバーサンに食べさせるくらいのもの。

その無花果。母屋の裏の工事のため切り倒すしかない、と決めた今年の秋、たくさんの実をつけた。カラスもすこしは来たけれど、熟した実もたくさん採ることができた。お裾分けにお届けした旧知の友が「まあ、どうしたの?」というくらいに取れた。

柘榴といい、無花果といい、おのれの運命、切り倒される運命を予知したかのように、例年とは違った実のつけ方をしたのだった。

だが、無花果、わたしは諦めていない。
これだけ根性の強い樹だ。地上を切り倒されても、根が残れば、そこからまた、ひこばえのように芽を伸ばしてくれる気がする。一応、取り木をして鉢に植えたけれど……。


by hidaneko | 2016-12-16 23:17 | 草木への思い | Trackback | Comments(0)


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