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今日は映画を2本観てきた

8月中にずっとやっていたのに、なかなか行く機会がなくて、今日が最終日、というので思い切っていってきた。小さな市民映画館なんだけど、シネコンではやらないような映画をやるところ。

一本は「夢は牛のお医者さん」ドキュメンタリー。
公式サイトから)
山あいの生徒が九人しかいない小学校に、3頭の子牛が新入生として入ってきて、それをお世話していた当時の3年生の少女が、牛のお医者さんになりたい、と夢みて、その夢に向かってまっすぐ進んでいく様子を、20年あまりも、ずっと追って取材していく…。

はじめの3頭の子牛も、ペットではなく「400キロになったら別れる」という条件の下で飼いはじめる。
夢がかなって、獣医になってからも、牛やブタなど「経済動物」という視点。不妊の牛など、「病気を治してやりたいと思っても、売値よりわたし(獣医)に払う金額が多くなるようなら、病気を治さず、そのまま売りに出した方がいい、」という現実。

文部科学省推薦の映画だけあって、子供にも分かるように、描かれていた。


もう一本は、「ある精肉店のはなし」
(公式サイトはこちら

大阪府貝塚市で、牛の飼育から、屠殺、解体、精肉の販売まで一貫してやっている精肉店のはなし。これもドキュメンタリー。
「牛を殺す、とは言わない。命をいただいて食べる時、鶏や魚は「しめる」と言う。牛やブタの場合は、倒す(違ったかな?)という」って。

屠殺のはなしは、まえに若い人向けの本、「<よりみちパン!セ> いのちの食べかた」を読んだことがある。その本も、だけど、この映画も、牛の解体、販売……だけじゃなく、その類いの職業についている人達への差別、偏見があったことも描かれていたの。

やっぱり、話はそこへ行くのか…という気がした。日本の場合は……。
(アメリカではどうなんだろう。西部劇では牧場も出てくるし、肉もよく食べるようだけど、屠殺することは下賎な職業とされているのだろうか?)
映画の中で、精肉店の親類が、太鼓つくりをしていて、革をなめすところからやっていたのだけれど、これも被差別部落の人の職業になっていたのだな、歴史的に……、と思いながら観てた。

わたしが被差別部落のことを知ったのは、中学生の時「橋のない川」を読んだのがきっかけだったのだけれど、そのことを親に言ったら、「(うちの市の)どこそこの太鼓屋さんも部落のひとなんだよ」と教えてくれたっけ。なんてことを思いだしながら観ていた。

だけど、わたしが一番グッと来たのは、家族揃っての食事の場面。テーブルを囲んで、ごちゃごちゃだけど、和気あいあい。いいな。
そして、もうひとつ。お祖母さんが、孫の結婚式の直前に骨折して入院するんだけど、一時退院したときに、息子や娘が、よってたかって、お祖母さんの髪をカットしたり、シャンプーしてあげるシーン。
車イスに乗ったままのお祖母さん。車イスの下にブロックを置いて斜め後ろに傾くように支えている息子。シャンプーをつけて髪を洗っている娘。頭の下に大きなプラの容器を支えてシャンプーを洗いがなすのを受け止めている息子…。なんのかんのと笑って文句をいったりしながら……。いいな、と思った。

「夢は牛のお医者さん」でもそうだたけど、家族が協力して、少女の夢をかなえてあげるようにしてるのよね。お祖母さんは、年金を節約して孫娘のために、孫娘が獣医になった時のために、と貯金していた。それで車を買ってあげたのだと、後で描かれていた。お祖母さんが亡くなったあとも、獣医になった孫娘はその車で往診してる。

それが、我が家にはないな、と。
帰り道、つくずく思いながら、夜道を運転しながら帰ってきました。





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自転車のスポークがあつまるハブみたいに、わたし、わがやの個人個人をつなぐハブの役目をしてきたつもり。
自分が頑張れば、家族があつまって、仲良く出来ると思っていた。
でも、できなかった。
つらつら思うと、Gサンにはそういう意識がなかった。アスペルガーの人って、そういう意識がないんだってね。人と人との和、相手の身になって考えるということ。

発達障害の中でも、ADHDのひとは、友だちを作りたいと思うけれど、作れないんだって。
アスペルガーを含む、自閉症スペクトラム(ASD)の人には、友だちを作りたいと思う意識もないんだって。

生き物の命をいただく、という映画をみながら、一番感じたのは…、
「そこかい」と、言われそうだけど、そうなんだ、わたし。
感動したキモは「そこかい」と言われそうなんだけど

仲のいい家族、和の、話のある家族・・・・
わたしは、望んでいて作れなかった。




マリッジブルーっていうでしょ、結婚前の落ち込み。
わたし、結婚前夜、おちこんだ。「いい家庭なんて作れない」と泣いた。
それが、…ン十年にわたる結婚生活を振り返ってみると……当たっていたのよね。

うちは(こういう言い方をしては、ぜったい、いけないのだけれど)引いたクジが悪かった。惚れた相手がアスペちゃんだったとは、思わなかった。

愛があれば、「生きづらかったでしょうね」といたわる気持ちも湧いてこようと言うものだけれど、うちのばあい、愛を注いでも、注いでも……砂漠に水を撒くようで。ン十年の間に、わたしのヤツに対する愛は、もう、枯渇。

ほんとは、わたし、けっこう尽くすタイプで(そこで笑うな)、こうしたら愛してもらえるかな、こうしたら和やかな家庭が築けるかな、と……

だけど、相手が悪かった。そういうことに努力しない人。
自分一人でいることが楽で、一人で居たいひとだった。

例えば…誕生日や父の日にはプレゼントを、子どもから渡してた。資金はこちらから出して。でも、Gサンはだまって受け取って、封も切らず中身もみずに、数日居間のテーブルの下に置きっ放しだったり。

わたしへのプレゼントは……。若い頃はあったけど、子どもが産まれてからは、ないなあ。着なくなったセーターや、ネジの無い自転車用のライトとか?(笑)

自転車のライトが壊れたみたいで点かなくなったの。自分でいじったけどうまくいかない。自転車屋で見てもらうのも面倒だから、ハンドルにつけるライトを買って付けていた。それも壊れたから「壊れちゃった、直らないかなあ」と言ってたら、「おれのをやろう」って。自分は新しいのをつけたらしい。もらったライトは、電気は点くけど、ハンドルに止めるネジが無い。だから、輪ゴムで止めてる。だから、時々、電気がガクンと下を向く(笑)
by hidaneko | 2014-09-05 21:49 | みきき | Trackback | Comments(0)


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