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バーサンの遺品の整理

バーサンは、倒れるまで和服を着ていた。
要介護3になっても、立って歩ける間は和服を着ていた。
帯が結べなくなっても、腰上げをして付け紐をつけ
つったけ(対丈)にして着せていた。
夏には浴衣を、冬場はウールや厚手の化繊のを。
さすが寝たきりになってからは、着せづらく
ユニクロのポロシャツやフリースなどになってしまったけど。

バーサンは、若い頃からずっと着物だった。
夏場、ほんとに暑いときにアッパッパなど着たけど。
バーサンは、お茶とお謡・お仕舞を習ってた。
亡父の生前はできなかったけれど、亡くなってから
老後の楽しみとして、習い事をしていた。

そのときの和服が、箪笥にけっこうある。
お茶会や発表会に着た晴れ着も残ってる。
というか、木綿などの日常着は着古し、
洗い張りして、縫い直し、最後は雑巾にしてたから
普段着はほとんど残っていなくて、あるのは絹物やウール。

わたしや姉が着れたらいいのだけれど、
残念な事に裄丈が足りない。仕立て直しも無理。
でも、捨てるのは惜しい。
古着屋サンに売っても、二束三文だろうし。

そんなとき、友達Y子さんの友達T子さんと知り合った。
学校にお勤めだけれど、趣味で和服をお召しになるという。
背丈も、バーサンくらい。
事情を話したら、着てくださるという!

ありがたや。
物の命がのびる。物の命が活かされる。

押し入れの行李の中などに、古い古い着物あったのだ。
わたし、バーサンが着ているのを見た事もないくらい古いの。
バーサンは、わたしの小学校の参観日などにも
和服で来ていたし、バーサンのたいがいの着物は記憶にあるけど。
記憶以前のもっと古い、綿入れのや、縞の着物も……
袖丈が長いから昭和初期?まさか?(笑)
それらも、全部とりだしておいた。

今日の午後、T子さんが来宅。
わたしは茶の間の箪笥の引き出しから次々和服を取り出し
まるで古着屋さんみたいに、広げたていった。
「古いし、保存の状態も責任はとれません」というスタンスで
(だって、ずっと虫干しもしてないし
 古いものは大切に取って置いても、布地が弱るものだから)
要るもの、使えるものを取り分けてもらった。

T子さんがお召しにならなくても、
学校の生徒さんとか、お知り合いの方にも見てもらって
分けてあげてくださる、って。
「こんなにいいんですか?」と言われても、
「どうぞ、どうぞ」ですよ。
だって、取って置いてもわたしには着られないのだし、
わたしが死ねば、残された人たちは始末に困るでしょ。(笑)

(ウール物と羽織類は要らないと残されたけど
さて、あれをどうしようかなぁ)

by hidaneko | 2012-10-29 18:31 | かいご | Trackback | Comments(0)


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