先週の月曜日にバーサンが退院してきて、もう一週間が経った。徐々に、徐々に体力が落ち、容体が悪くなってきているけれど、明治女はすごいな、頑張って生きている。大きな口を開けっぱなしにして、
「すぅ、はあ。すぅ、はあ」と体中で呼吸を続けている。
今日は、Gサンは24時間勤務。朝の7時過ぎに家を出て、翌日の8時過ぎに帰ってくる。
「何かあったら、電話くれ。帰れないだろうけど、連絡はくれ」と言って出掛けていった。
モグは、昨日からダウン。夕方、昼寝するといって床にはいって、そのまま夜まで寝て、今日もずっと起きられないでいる。一週間、わたしをサポートするために、よく頑張ったもの。細かに気を遣って。
ということで、今日は、わたし一人で看る。
朝、6時半、経管で栄養を入れはじめる。200cc、200kcal。薬、湯冷ましを100cc.
あとは、3時間おきのおむつ替えと、体位の変換。
夕方も、経管栄養と薬、水分の補給。
午前中、9時半、看護師さんが来てくださる。
バーサンは昨日とあまり変わりが無い。
時々呼吸がとまる。長い時は30秒以上も。大丈夫?と思うと「ふーっ」と呼吸をとりもどす。
足の親指の付け根の骨のところ、血行が悪くなっているのか、赤黒くなってきている。自家製リヒカで、布団(といっても、真綿布団の軽いやつだけど)の圧がかからないように塩梅する。
「寝てくださいね」と看護師さんが言ってくださる。「あなたが倒れたら大変だから」
いつ、どうなるか分らない。体力は温存しなくちゃね。
午後2時過ぎ、M田先生が往診に来てくださる。バーサンの容体はあまりかわらない。「昼はいいんですよ、顔を動かしたりするんです。
夜になると、ぼうっとして視線も定まらず、呼吸も長く止まったり…」と、わたし。「
こうなると、もう、いつと言えませんからね」と先生。
そう、いつ、どうなっても不思議ない状態。
「寝てもいいんですよ」と、M田先生がおっしゃる。
「寝ずに看守っていることないんですから」
やさしさに、涙が出そう。
「日付が変わるころ寝て、早朝覚醒で4時頃には目が覚めて」と、わたし。
「止まってからでいいでしょうか、ご連絡するのは?」と訊いてみる。
「止まってからでいいです」と先生。
午後3時半頃、R君から電話。
「今さ、県内のT川病院に出張しているけれど、戻る前に家に寄るから。4時半頃になると思う」
ああ、みんなが気を掛けてくれる。ありがと。
家にいたのは、ほんの10分ほどだけど、来てくれたのが嬉しい。
「M田先生に『寝ていいんですよ』と言われちゃった」
「うん、寝ていいんだよ。何かあったら、連絡ちょうだい」
R君は、ひょろ長い体を折るようにして、30センチのスニーカーのひもを結び、帰って行った。
夕方、モグが起きてきた。
「寝れた?」
「うん、24時間以上ねちゃった」
そういいながら、夕食をつまんで、また寝にいってしまった(笑)
今日も一日が終る。
バーサンは、頑張って呼吸して生きてる。
がんばれ、バーサン。わたしもがんばる。
はい、ちゃんと寝ますから。