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母の日に・・・

ふと浮かぶのが、茂吉の歌。

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

この歌で検索してヒットしたサイトに、
『死にたまふ母』はいかにつくられているか(一) 宮澤 英邦」があった。
短歌の連作として、前後の歌が揚げられていた。(番号はサイトの筆者)

「ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ」1
「白ふぢの垂花ちればしみじみと今はその實の見えそめしかも」 2

わたしも、何を見ても、母を思う。
うちの隣家には白藤の藤棚があって風に乗って香りが届く。
それを見ても、きっと藤の季節になると思い出すんだろうな、と思う。

サイトの筆者は「光」に注目して文を書いているが、
わたしは、茂吉の視線に気が向く。

「はるばると藥をもちて來しわれを目守りたまへりわれは子なれば」 12
「寄り添える吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば」 13

母が生きていてくれるから、わたしは「子」であり得る。
「子」……母によって守られている存在でいられるのだ。

「長押なるに丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊の我が朝目には見ゆ」 14
「山いづる太陽光を拜みたりをだまきの花咲きつづきたり」 15
「死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」 16
「桑の香の靑くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり」 17
「死に近き母が目よ寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな」 18

14、涙こらえ、つい上を見てしまうのだ。だから長押にも目が行く。
15、家に居かね、戸口をあけて、山にいづる朝日を見る、苧環を見る。
うちのバーサンも、苧環がすきだった。青紫の苧環が好きだった。
16、わたしが、バーサンに添い寝(するかなあ、わたし情が薄いから)したとき、何が聞こえるのだろう。
18、わが家の苧環は絶えてしまった。鉢植えも手に入れそびれた。咲いていたなら、きっとバーサンに伝えに行くかな。

「春なればひかり流れてうらがなし今は野のべに蟆子も生れしか」 19
「死に近き母がひたひ額をさす撫りつつ涙ながれて居たりけるかな」 20

19,母が死に行くかたわらで、蟆子(ぶゆ)が生まれているのである。虫けらが生まれているのである。死に行く命と生まれ出でる命。友達が、いま、仔猫を育てている。5匹の、親猫がいなくなった野良猫の子を育てている。茂吉の歌のように、つい、命を重ねてみているのである。
20、バーサンに会いに行くたび、頭をなでる。髪をとかし、髪伸び過ぎちゃったね、と語りかける。バーサンは耳にかかる長さを嫌っていたのにね。この間のショートステイの時、カットしてもらえば良かった。あのときは「まだいいかな」と思っちゃったのよね。

「我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ」 22

茂吉の詠嘆に共感する。己に重ねて思う。

そして、教科書にも載っている…
「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」 23

季節が同じなのよね。わが家にツバメは来ないけれど、商店街のアーケードの下にツバメの巣があり、ツバメが飛び交っている。それをみると、この歌を思い出してしまうのだ。

「いのちある人あつまりて我が母のいのちし死ゆ行くを見たり死ゆくを」 24
「ひとり來てかふこ蠶のへやに立ちたればわ我が寂しさは極まりにけり」 25

バーサンの最期はどんなだろう。
葬式のシュミレーションをしようとして、できないでいる。
バーサンの死期に、わたしは何を思うだろう。
茂吉の母は蚕を飼っていたという。蠶部屋は茂吉にとって母を思い浮かべる部屋だったのだろう。

わたしには、歌心などないけれど、
以前、工藤直子さんが講演会で言っていた。
「共感できる詩や歌があったら、自分がその人に作らせたのだと思っていい」と。
都合の言い解釈だけど(笑)、共感できるということは、作者と感性が同じ、ということなのね。

わたしに歌心などないけれど、
斎藤茂吉の作品をちゃんと読んだことはないけれど
中学生の頃に習った歌が、思い出されるんだ。
「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」
by hidaneko | 2012-05-13 22:25 | かいご | Trackback | Comments(0)


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