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家族会議・2012年5月6日(日)

午前中、11:30に合わせて病院に行く。
モグは最初「今日は行きたくない」といっていた。
このところ睡眠時間が不規則になっているし、午後にR君が来る事になっているので、疲れたくなかったのだと思う。でも「今日は、モグちゃんが経管栄養のやりかた、実際にやってみるって言ってたじゃない?」と聞くと「ああ、そうだった。じゃあ行く」と。
ちょっと無理させちゃったかな、とも思ったけど、午前中はモグちゃんと行きたかった。技をモグにも覚えて欲しかったし、Gサンには、午後からR君がきたら一緒に行ってもらう予定だったから。

雨が降ったり止んだり、小雨になったり陽が差したり、そんな中、K名病院に行く。
看護師さんのご指導の元、痰の吸引をわたしがやり、栄養剤を入れるのをモグがやって、栄養剤が落ちる間に昼食に行き(近所のレストランで生姜焼き定食、わが家比5倍の塩分に半分も食べられなかった(^^ゞ)、そのあと病院に戻って薬の入れ方を習う。注射器(みたいなの)に粉薬と錠剤を入れ、お白湯を吸い込んでとかして、経鼻の管に入れる。そのあと白湯をセットし、あとは看護師さんにお願いして帰ってきた。

午後2時。R君が来宅。すぐGサンとわたしがR君の車でK名病院に行く。雨が降ったり止んだり。車の中でも、これまでの経緯を話す。Gサンは後部座席で、わたしとR君の会話を聞いているのかいないのか、終始無言。
バーサンの病室に行き、バーサンの様子を見てもらい、入院時にもらった「病状の説明・治療について・回復期の治療とリハビリについて」を見てもらう。R君「うん、うん……」と読んでいて「だろうな」と。
バーサンは昨日より表情がなく、目もうつろ。数日前は、目で顔を追うこともあったけれど、眠っているのではないだろうが目の開きも悪く、どこを見ているのかも分らない感じ。Gサンは呼びかけているけれど、バーサンの反応はない。「帰ろうか」というR君の目くばせで、Gサンを促す。

帰り道、車の中で。
「看護師さんに聞いたところでは、栄養剤を増やしていってフルにいれる(1000kcal)のが8日だって」と、わたし。
「1000? そんなに入れるの? あの感じではまあ5〜600だけどな」とR君、「これまでどれくらい食べてたの?」
「ショートステイでは、波があるけどほぼ全量たべてました、って。うちでもお粥をこども茶わんに一杯くらいと、鮭なら半切れ、あと野菜を煮たのをミキサーにかけたの…4〜50分かけてだけど」
「そんなに食べれてたの?」
「うん、昼ならパン粥を一枚分くらいと、バナナ1本と、温泉卵小さいの一つと、エンシュアを150ccくらい」
「帰ってきても、あの状態ではほとんど食べられないと思う」
「うん、わたしもそう思う。たべるリハビリをします、と言ってたけど、昨日も食べなかったって。入院するまで口から食べていたから食べられたけど、入院して一週間以上、口から食べてないから、あの舌では飲み込めないと思う」
そんな、わたしたちの会話を聞いていたのかいないのか、Gサン終始無言。
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帰宅後、4人で話し合う。Gサン、モグちゃん、R君、わたし。
わたし、「看護師さんに聞いたところでは、栄養剤を増やしていってフルにいれる(1000cc)のが8日。そのあと検査があって、退院後の計画についてケアマネージャーさんも交えての会議が10日の予定で、退院はそのあとになるはず」と伝える。
「僕の見た感じではね、10日まで持つかどうか分らないよ」と、R君。「僕はこれまで見てないし、今日ぱっと見た感じでは、ふつう、あの状態の人を見たら2,3日と思う」

そのことは、心の奥に踏まえつつ、経鼻で退院してきた後のことを話し合う。
「10日に話し合いがあってすぐ週末だから、退院は早くて来週の月曜日、5月14日だろうな」と、R君。
無理な延命をすることなく、穏やかにお送りする、と言うことについては誰も同じ考え。ただ、経管で帰ってきてどうするか……。
この間帰ってきてたアリさんの意思と、前日、電話で聞いたわたしの姉・Y伯母ちゃんの言葉を伝える。バーサンはもう十分生きてきたのだから、と。あとは、ひだまりねこがどう納得できるかだ、と言われた事などをみんなに伝える。

「ショートステイとかこれまでどうやってきたの?」
「月に2回、往診がある日をはさんで帰ってきてた。2泊3日で在宅。あとはショートステイを2箇所つかってたの」
「退院してきて、ショートステイは使えるの?」
「経管でOKですというとこもあるって、ケアマネさんが言ってた。でもこれまで使っていた〈Hの里〉は遠いから無理で、近所の新しいところを使うようになるって。そこが決まるまで在宅で看ることになる」
「家で看られるの?」
「2泊3日がぎりぎり。Gサンが24時間勤務で留守だったり、モグちゃんが体調不良で寝てたりすると、わたしひとりで全部看てたけど、あとでへとへとだったから。それ以上になると、わたしが倒れるかも」

わたしがそう言ったら、Gサンが自分を責められたように思ったみたい。
「うちは、これまで人を入れてこなかったけど、もっと入れたらいいじゃないか。裏のアパートのWさんなんてヘルパーさんをお手伝いさんのように使っているぞ」
「あの人は独り住まいだからゴミ捨てや掃除洗濯、買い物などもやってもらっていたの。介護保険ではご本人のお世話だけすることになっている。うちの場合は洗濯にしても居室にしても、家族のと混じっているからヘルパーさんは使いにくいの」と、介護保険について説明する。
主治医の指示書で訪問介看護を入れられること。でも褥瘡予防や排便管理、身体の清拭などで、三度三度の食事の時に栄養をいれるために来てもらうのは無理。経鼻の管が外れたりしたときは、緊急で来てもらって入れ直してもらうことはできるだろうけど。あと、訪問入浴や使える可能性のある物について、ケアマネさんと話し合っていることを伝える。経鼻栄養のリスク(副鼻腔炎などのリスクや挿入時の誤嚥など)についても、ケアマネさんに聞いていると伝える。

「経管栄養をつづけると、あとどれくらいか、2年か、3年か、わからないよ」とR君。「発熱などあったら、もっとすぐ…、数日ということもあるし」

話は、経鼻で帰ってきて、どうするか具体的な話になる。つまりは抜管の時期……。
「経管栄養だと、毎日8時間はかかることになる」と、わたし。「栄養剤を落としている間は、何があるか分らないから傍にいてください、と言われてる」
「でもね、実際問題として、それは無理でしょ」とR君。「嘔吐とかあるかもしれないし、それで窒息とかあるかもしれない、ってことでしょ? でもね、それを含めて寿命だと思うよ」

R君は、末っ子の長男。バーサンの血筋では始めての男子(わたしの姉たちの息子もいるけど、後妻のバーサンにとっては血は繋がっていないからね)。R君はバーサンのご贔屓の子だった。R君が医学部に進むと言った時、「R君に脈を取ってもらって『ご臨終です』と言ってもらう」というのが、バーサンの夢だった……。

「経管にしちゃうと、いつ経管をやめるかが問題になるのよね」とR君。
「そうかぁ、人工呼吸器などの延命装置をいつ外すのかと同じようなことね」と、わたし。「姉・Y伯母ちゃんは、経管栄養も延命ととらえてる。無理な延命はしなくていいって」
「どこで線を引くかは難しいけれどね。ふつう、口から食べられなくなったらおしまいだから」とRくん。
「俺はそうは思わない」とGサン。「無理な延命だとは思わない」
「経鼻でやって、どれくらい持つか分らない。経鼻をはずして、どれくらい持つかも分らない。でもね、退院してきた時が、はずすきっかけなのよね。あと経管栄養を続けるとどれくらい続くか分らないからね」とR君。

わたし「経管で退院するのが、K名病院の治療計画だから、経管で退院させてもらって、あと、かかりつけ医のM田先生のご都合で、その日じゃなくても、翌日とかにはずしてもらったら、と思う」。苦渋の選択。
モグちゃんも「わたしも、翌日とか、M田先生のご都合のよい日にしてもらったらいいと思う」と言う。モグにしては、バーサンを愛しているモグにしては、つらい決断だと思うけど、口に出して自分の思いを言ってくれた。

「だけどな……今すぐには決められないよ。もっと時間がいる」とGサン。「M田先生に相談しないとな」
「でも、父さん、家族の意思が決まってないと、相談もできないよ」とR君。「どうしましょう? では、先生も答えようがないんだよ」
Gサンは「いろいろあるだろうけど、母さんがこれまでやってきたのだし、母さんのいいようにしたらいいと思うよ」と、ボソッと言う。

あぁ、この期に及んで、まだわたしに下駄をあずけるか!?
自分で決断しようとせず、自分の意見を言わずに、人にあずけるか。

バーサンの入院以来、経過は逐一Gサンに伝えてきた。入院の時につきつけられた条件のことも、M田先生との話も、伝えてきた。その間、Gサンは何を考えてきたのか、何も考えてこなかったのか。あれ以来、わたしは眠れない夜をすごしてきた。モグなどを動揺させてはいけないと表向きは普通にしてたけど、見えないところで血を吐くほどに泣いてきた。つらいけど、親の余命の日数を数えるのは辛いけど、でも十分考えてきたこと……。
2010年の7月、親類で会わせたい人を呼ぶように言われたときは奇跡的に回復したけど、いつか、この日が来ることは、ずっと、ずっと、心の奥底で覚悟してた。

「父さん、この場で…」
と、R君、手を大きく広げる。
「この場で決めないと、ね」
感情を抑えた声でR君が言う。

あの場面で怒らなかったのが偉いと思う。息子も成長したな、と思った。
まだ、ぐずぐず、ぐずぐず…と、分らないことを言っているGサン。
「わかった、わかった、わかったから…」とR君。
時計を見たりしている(笑)

「経管を外すと、餓死させてしまう気もするのだけれど、そうじゃないのよね。無理に経管で栄養をいれても、バーサンはもう吸収できなくなってきているし…」とわたし。「あとは、本人の寿命ということなのよね」

「そう。発熱があっても寿命。経管でも誤嚥があるけど、それも寿命。嘔吐して窒息するかも知れないけど、それも寿命。経管をはずしてどれだけ持つか、それも寿命なのだよ」と、R君。


「わかった。退院してきて、あとはM田先生のご都合にあわせて、抜管してもらおう」Gサンがそう言った。
「じゃあ、そういうことでいいね」と、R君。
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長々と書いちゃった。
なんか、ドラマみたいだね。
でも、これが現実。
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帰り際、R君が言った。
「あの人(お父さん)は、ああいう人だからしょうがないよ」と。
Gサンの性格(わたしがいつも手を焼いている、人にせいにしようとする性格)を見抜いてました。

R君が帰り、Gサンが車でドコカヘ出掛けたあと、モグが
「わたし、あのとき(父さんに)縫いぐるみか何か、ぶつけてやりたい気持になった」って。

あぁ、なんだかわが家、
大人より子どもたちの方が、よっぽど大人。





……………
夏井睦(なつい・まこと)先生のサイト「新しい創傷治療」の「褥瘡治療についての素朴な疑問」より

「褥瘡治療には栄養管理なのか-死に至る過程-」から部分引用。

 死に逝く人を見ていると,どの人も同じような過程を経て死んでいくことがわかる。次第に意識が薄れて呼びかけにも反応しなくなり,足の指先が冷たくなって紫色になり,オシッコも次第に出なくなり,腸の動きも弱くなり,呼吸の回数が次第に減り,呼吸が止まり,そして鼓動が停止する。個人によって個々の反応が起こる順序は異なるが,大体こういう風に変化が見られるはずだ。これが死に至る過程だ。

 これを別の面から見ると,呼吸と心臓の収縮を最後まで維持するために,それに関係のない臓器を次々と切り捨てているのだと思う。肺と心臓を動かすにはエネルギーが必要だから,それを維持するために,それ以外の臓器の活動を停止し,そこで使われるはずだったエネルギーを肺と心臓にまわしているのだろう。
 だから,大脳皮質は活動を停止する。大脳皮質はエネルギーの最大の最大消費地だ。だからまずここを切り捨て,その結果として意識レベルは低下する。
 手足も動かす必要がないからそれらの筋肉への血流も無駄だし,手や足の先端の体温を維持するのも無駄だ。だから,手足の先から次第に冷たくなっていく。
 腸管は常に上皮細胞が脱落しては新しい細胞が作られて維持されている臓器だ。だから維持するためには常にエネルギーが供給されなければいけない。しかし,自分で食べ物を見つけて食べることができなくなれば,もう腸管は不要となる。食べ物自体がやってこないからだ。だから腸管も早期に切り捨てられる。当然,膵臓も消化酵素を作る必要はなくなるし,インスリンを分泌する必要もない。それらを作るエネルギーすら惜しいからだ。
 そこまでして人体は,最後の最後まで呼吸と鼓動を維持しようとする。そして,その最低限のエネルギーすらなくなったとき,死を迎える。

 生物学的には寝たきり状態で生きていること自体,ありえない状況だ。寝たきりどころか,老眼や膝関節症になった時点で餌が取れなくなり,自分が餌になるからだ。寝たきりでも生きていけるようにしたのが現代医学だが,生物学的にはありえない状態である。
 だから,寝たきりの状態とは上述の「死に至る過程」を超スローモーションで再生しているようなものではないかと思う。本来なら上記の「死に至る過程」は1日から数日で完了するが,それを引き伸ばしているようなものだ。だから,足趾先端の壊死が始まっても(現代医学はこれにもASOという病名をつけて治療しようとする),それでも数日で死を迎えることはないし,意識がなくて摂食もできなくなっても死ぬことはない。意識がなくて咀嚼できなくなっても,直接胃袋に穴を開けてチューブを入れ栄養を流し込めば死ぬことはない。摂食・咀嚼すらできないという状態は生命体として極めて異常な状態だが,現代医学に慣れてしまうとそれは異常とは見えなくなってしまう。胃袋に直接穴を開けてチューブを入れている寝たきり高齢患者を見ても,当たり前だと思ってしまう。

 だが,いくら超スローモーションだとしても,死への過程は不可逆性であり,寝たきり患者にいくら栄養を入れたとしても意識が戻ることはないし,起き上がれるようにもならない。生物としての人体が既に「大脳皮質の切り捨て・指趾末端の切り捨てをしてでも呼吸と心臓を維持しよう」という方向に舵を切ってしまったからだ。

 褥瘡治療に栄養管理は不要,という根拠はここにある。

(2007/12/20)

……………

同「-栄養を入れても利用できないのでは-」より引用

 では,寝たきりの褥瘡患者にCVカテーテルを入れたり,PEGを造設して胃袋に栄養物を流し込むとどういう現象が起きるだろうか。恐らく,血糖が上がり,それを安定させるためにはインスリン投与が必要になることもある。

 前述のように,死への過程に足を踏み入れてしまうと,まず切り離される(=切り捨てられる)のが消化管であり消化管付属器官だ。自力で食物を食べられなくなったからには,消化管そのものが不要となるからだ。何しろ消化管は常に新陳代謝が必要で維持するだけで莫大なエネルギーを消費する。まして消化器を働かせようとすれば,それ以上のエネルギーが必要だ。また,消化酵素を作るにもインスリンを作るにもやはりエネルギーが必要だし,それを消化管や血管内に分泌するのもエネルギーを消費する。
 というか,そもそも,死に逝く過程にある生物で血糖が上がる,という状況そのものが生物本来のあり方の想定の範囲外,決して起こりえない異常な状況なのである。摂食も咀嚼もできない生物は経口的にエネルギー源(血糖源)を取ることは不可能だからだ。

 だから,このようになった褥瘡患者に栄養を投与しても生命体としてはそれを利用できないし,無理矢理血糖源を投与したとしても,既に膵臓は活動を停止しかかっているから,それを処理できないのだ。だから血糖は上がるしかない。
 繰り返すが,寝たきりになってから投与されるエネルギー源は,生命体としては想定の範囲外であり,そのエネルギー源に対応できないのだ。栄養を投与するのは医者にとって簡単だが,投与された側がそれをありがたく思っているわけではないのだ。

 これと同じような現象は,高齢者医療の現場では他にもあると思う。寝たきりの肺炎患者に点滴を射れて抗生剤を投与すると,次第に肺が白くなってくる。いわゆる「水が溜まった」というやつだ。だから,利尿剤を投与する羽目になる。すると電解質のバランスが崩れてしまい,大抵,低ナトリウム血症になる。それを補正するために今度は・・・と,次々にいろいろな現象が起きているはずだ。つまり,治療が治療を呼ぶという現象だ。

 この「治療が治療を呼ぶ,異常に対する対処が次の異常を呼ぶ」状態になると,治療している側には患者の全体像が見えなくなってくる。目の前のデータの異常を分析し,それに対処するだけで精一杯になるし,そもそもその異常事態の原因がどこにあるのかすら脳裏に浮かばなくなる。

 医療をしている側は,投与した薬や栄養が全て患者に有効利用されていることを前提にしていないだろうか。だから,有効な(はずの)薬を投与しているから,それが現在問題となっている異常の原因だとは考えなくなってしまう。自分が正しいことをしていると考えると,異常なことが起きた原因は自分でなく患者に原因があると考えてしまう。

 ここに「褥創治療には栄養管理が重要」という方針が生まれた下地があったと思う。自分が正しい褥創治療をしていると信じている人が,うまく治らない褥創患者に出会った時にどう考えるかだ。自分の治療が正しいのに治らないのだから,原因があるとすればそれは患者自身にあると考えるはずだ。
 除圧マットレスも使っているし,きちんと局所の評価をして軟膏や被覆材もガイドラインどおりに使っている。それでも治らないとすれば,患者のどこが悪いだろうか。当然考え付くのは貧血だったり血漿タンパク量あたりだろう。血糖値あたりも槍玉に上がりそうだ。それでも治らなければ,次は微量元素の番だ。
 かくして,「褥創治療には栄養管理」という都市伝説が誕生したのではないだろうか。

 術後患者は健康人だから,栄養を投与すればそれはすぐに全身状態に反映する。しかし,高齢寝たきりの褥瘡患者ではまったく別なのである。このあたりを混同してはいけないのだ。

(2007/12/21)
by hidaneko | 2012-05-06 21:30 | Trackback | Comments(3)
Commented at 2012-05-07 16:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2012-05-07 16:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hidaneko at 2012-05-07 18:29
>鍵 at 2012-05-07 16:41さま

コメントありがとうございました。
その1、その2と、2回に分けての書き込みを読みながら、またもや、涙ぼろぼろでした。
決めたはずなのに、話し合って結論をだしたのに、うろうろと定まらない心です。

>どうしたらいいか迷った時に「家族が決めたことが最善の方法だ」という言葉

この言葉は知りませんでした。でも、ほんとにそうなんですね。
これまでの、うちの家族のことを肯定してくださって、ありがとうございます。

家族のありようは様々で、条件もなにも同じ家庭ははないのだから、決めることが違うのも当然なのですね。
杖言葉になりました。ありがとうございます。


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