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カニグズバーグから

翻訳と絵本の読み聞かせは似ている、と思います。これは以前から思っていたことですが。
作者の言いたいこと、伝えたいイメージをくみ取って、
それが受け手に、まっすぐ伝わるように「日本語」や「声」にすること。
もちろん、訳者や読み手によって、作品の解釈は異なるだろうけれど、
作品の読みの深さや訳者・読み手の技量が自然と出てきてしまうもののようです。

『エリコの丘から』愛しのタルーラ 1

少し前のことですが、あることを検索していたら、こちらのサイトにぶち当たったのです。
以前から好きだったカニグズバーグの作品についての話だったので、
つい読んでみて、びっくり!!
訳によって作品の印象が変わるのは知っていたけど、これはもう犯罪ではないか?
この訳者さん、作品を殺していますよ〜。

日本語訳の違いを弾劾しているのは、やみぃさん。
翻訳家ではなく、ただの一読者として、日本語訳があまりに変なので
原書とつきあわせて訳してみてるのでした。
さらにそのことを著者にも伝え、出版社にもかけあい、日本語版の改訳を求めているの。

ひとりで、こんな力強い活動をしている管理人のやみぃさん、
どんな方か、「ELKをめぐる冒険」へ遡ってたどり、
さらに表玄関から自己紹介を見に行ったら、乳癌患者でいらっしゃいました。
だからどう、ということはないのだけれど、
わたしの友だちにも乳癌の方がいるので、なんとなく親近感を持った次第。
話が前後したけれど、カニグズバーグの作品。
じつは、わたしも以前読んで、分かりづらく、同じ行を何度も読み直したりして、
自分の読解力が変なのかと思った訳本があったのでした。
それで、読み比べてみようかと、件の『エリコの丘から』を
佑学社版と岩波版、図書館から借りてきてくらべて読みました。
佑学社版のは書架になく、館外の倉庫に入っていたけれど、探してもらいました。

やみぃさんの指摘の通り、
>岩波版のタルーラは、カニグズバーグのタルーラではありません。
>雲泥の差、というより、まったく正反対です。
>そして、このことが、『エリコの丘から』の物語全体をガタガタに壊しています。

「大岩波だから」とか、「全集に入っているから」と信頼してはダメ。
・・・というのを感じました。編集者、何をしているのだ?とも。
『エリコの丘から』の改訂版が「共訳」になって、昨年末に出たそうですが、
まだ図書館に入ってなく、どこがどのように変わったかチェックしてません。
金原さんの訳で新しく出た『スカイラー通り19番地』は、読みやすく面白かったです。

これから『トーク・トーク』を読みにかかります。
これも某大御所の訳なんだけど、けっこう指摘されてました、さてどんな訳なのでしょう。
楽しみです。



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コメント一覧

1. ひろ@奈良 2005年03月17日 09:50

なるほど。よおくわかります。
古文の時間に、このように訳さねばならない、っていう授業が
嫌になりました。

万葉集だってそうです。
へ〜、こういう解釈をするのか、って言うほど、まことしやか
に、数行に渡って解釈されているのを見ると、そのうちに
「本当?」と疑いたくなり、色々比べたり、歴史や地図を見た
りしました。
その折、結局気に入った解釈を好んでいたのですが、それって、
正しいの? とも感じました。

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2. ひだまりねこ 2005年03月17日 10:36

ひろ先生が、こういう話題にコメントをくださるのが嬉しいです。

安部公房が自作を入試に使われて、試しに答えてみたら散々だったとか。
作品の意味をきく問題の正解をみて
「へえ、俺ってこういう作品を書いていたのか」ですって。

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3. COSMOS 2005年03月19日 14:48

「やみぃさん」っていうお名前には記憶があるなぁ・・・
と思って表紙に行ってみたら、思い出しました。

乳癌ルートで覗きにいったことがありました。

ほんとにこの翻訳、悲しくなりますねー。
こんなふうにしか、この作品をとらえられない訳者の
感覚が悲しい・・・。

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4. ひだまりねこ 2005年03月19日 22:36

>COSMOS
あら、まあ、ご存知でいらっしゃいましたか。
ほんとに、翻訳は語学力もさることながら、作品をくみ取る感性が問題でしょうね。
わたしは英語はからっきしなもんで、日本語訳がたよりですもん。
by hidaneko | 2005-03-16 22:12 | ほ ん | Trackback | Comments(0)


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