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寒い!

一日中、寒い風。
海からまっすぐ吹いてくるので
家の前の坂道など、風に向って歩くのが大変。

夕食後、スーパーまで買いに出たら、
なんと、雪ですよ。
街灯に、きらきら光って、きれいだった。

寒さと、きらめく雪で、
昔のクリスマスのことなど
芋づる式に思い出したのだけれど、
今日は手根幹症候群で手が痛いので、
また今度ね。

忘備録・キーワード:
寒がり クリスマスイブのスカート
毛糸のセーター、カーディガン
もめんの長靴下 赤い靴下止め
手作りオーナメント アメ横 キャンディ

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 小さいとき、すごく寒がりだった。だいたい地球温暖化など言われるずっと前のことだから、冬も今より寒くて、雪も2〜30センチ積もるのは当たり前だった。
「年寄りッ子は三文安い」というけれど、両親が年取ってから生まれた私は、寒がりの親に合わせて、とにかく風邪を引かないように着膨れさせられていた。冬の定番は、綿メリヤスの長袖シャツに化繊の長袖を重ね、その上は母の手編みの濃い赤のセーターとカーディガン。それもアンサンブルではなく、なぜか微妙に色合いの違う赤の記憶が強い。ピンクや黄色など薄い色は「汚れが目立つから」だめ。「おまえは本当に汚し屋さんだから」と、いつも言われていたっけ。(あ、カーディガンは前がずっとボタン止めで、でもボタンは上の一つか二つだけ止めていたの。なんでだろう)
 下はグンゼのズロース(上の腰回りだけじゃなく、下の脚まわりにもゴムが入っているの)そしてズボン下と赤いコールテンのズボン。丈夫で暖かい……って、落語「花色もめん」の決まり文句だけど、まさにそれでした。丈夫で暖かくて汚れにくい。秋から冬いっぱい、桜の咲くころまでこのスタイル。

 それが、ある冬のクリスマス。亡くなった姉が言い出して「火種子にもスカートはかしてあげよう」と。それがすごく嬉しかったのだ。冬にスカート。それだけで、とてもオシャレに思えたのだ。
 その頃の我が家の暖房は、居間に薪ストーブと、掘りごたつ。父の弟たちが材木屋と大工という関係で木の切れ端や古材、製材の木っ端には不自由しなかった。ストーブをぼんぼん燃やせば温かいはずだけど、なにしろ古い家屋。あちこちすきま風だらけ。(そういえば、そんな歌もありましたっけ。♪なじみのなじみのすきま風〜、去年の道を忘れずに口笛ふきふきやってくる〜♪って)
 そんな、温かいのか寒いのか、よく分からないような環境で、スカートでのクリスマス。記憶はあいまいだけど、多分グンゼのズロースに毛糸(汚れが目立たない赤)のパンツをはいて、長靴下を履いていたと思うの。それも、もめんの長靴下…のはず。「ウーリーナイロン」なんてのが出てきたのは中学生のころだったから。もちろんパンティストッキングやタイツでなくて、輪になった靴下止めで押さえるんだけど、すぐずり下がってくるのよね。わたし、かぶれやすくて、ゴムのところが赤いミミズ腫れになったっけ。(ああ、わたしが皮膚が弱いのは今に始まったことでなく、昔からだったんだ、と再認識)
 すこし寒くて、いっぱい嬉しくて。でも、ロウソクを消してケーキを食べ終えたら、すぐまたズボンに着替えたように記憶している……。

そんなことを思い出しながら、スーパーの帰り道を歩いてきて、
「バルキーセーターは、あの年だったかな」と思い出したのだった。上の亡姉は赤いの。次の姉は、たしか茶色いの。そしてわたしは薄緑のモヘアのはいったモコモコの大きめサイズのセーター。いつもの、姉のお古を編み直した汚れにくい赤色のでなく、新品の薄色の店売りの! あのころは、母の手編みより、店売りの方が高級に見えたんだ。
 バルキーセーターが流行ったのは、スカートのクリスマスより、すこし後のことだと思うけど……。あ、芋づる式に今思い出した。セーターを買ってもらった帰り道、加島屋で豆天(大豆の天ぷらで、おせんべいみたいなの)を買ってもらったんだっけ。(加島屋。いまでは鮭茶漬の瓶詰で有名な大店になったけど、昔はふつうの乾物屋だった)

 ずらずら思い出しているのが楽しい。小雪の夜道の帰り道。
 あのころのクリスマス。うちはそう豊じゃなかったけれど、仏教徒のはずだけど、クリスマスは年中行事のひとつのように、楽しみな日だった。姉妹はそれぞれ小さなプレゼントを交換したり……。岩波少年文庫用に姉が作ってくれたブックカバー。まだ持っている。グレーでロウソクが刺繍してあるんだ。クリスマスツリーのオーナメントも、毎年すこしずつ買い足していたっけ。デパートの売り場にならんだベルやモール。今でも目に浮かぶのはなぜ? 買い足すだけでなく、手作りもしていたっけ。父親が出張のお土産にアメ横で買ってきたキャンディーの包み紙、色とりどりの銀紙できれいなのを取っておいて、中に綿を丸めてキャンディを作り、長くつなげて飾りにしたっけ。

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こんなことを、ずーっと考えながら歩いてきたのだけれど
ブログに書きたいな、と思ってあるいてきたのだけれど
とくに意味はないんです。ただ、思い出したというだけ。
春には珍しい、小雪の降る夜、スーパーからの帰り道に。
(オチがなくてすみません(笑))
by hidaneko | 2006-03-29 23:47 | きせつ | Trackback | Comments(2)
Commented by ひろ@奈良 at 2006-04-01 08:29 x
昔は、暖をとると言っても、「ひばち」だけでしたね。
寝るときは湯たんぽ、未だに低温火傷の跡が下腿に残っています。
寒さもそんなに変わらないのだろうけれど、どうして暮らしていたんだろうと思う。
クリスマスは、自分で稼ぐようになるまで、しなかったなあ。
Commented by ひだまりねこ at 2006-04-01 10:10 x
>ひろ先生
ほんと、どうして暮らしていたんでしょう。
昔の冬は寒かったです。暖房も乏しくて。それでも生きてきたものね。
今は各部屋も暖房してあたたかいはずなのに、やっぱり寒がっています。


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