一昨日、ネットでの知人の訃報を知った。
多分、もう少し前に亡くなったのではないだろうか。
その方のホームページに、久しぶりに行ったら
ご主人とご子息からのご挨拶があり、サイトは閉鎖されていた。
持病をお持ちで、何度も入退院や手術を繰り返し
でも、ご自分のホームページや、別の方の掲示板などでは
明るく、面白いことを見つけるのがうまい方だった。
知りあったのはずいぶん前、8年近くになる。
介護板からリンクしていった先の医師の掲示板で
楽しい会話を繰り返して、そこが閉鎖になったあと
またしばらくして、ぜんぜん別な掲示板でお目にかかった。
ユニークなハンドルネームが目に留まり、
ご挨拶したら、同じ方だった。
時にはハンドルネームのあとに「@トラの穴」などと書かれて
某病院に入院なさっていることが分かったり、
そのベッドから、書き込みなどもなさっていた。
最後まで明るくいらしたというmamajoさんの冥福をお祈りします。
この訃報に接した時、心の中が、シンと、真っ白になる感じがした。
お会いしたこともないのに、同じ空の下にいたあの方が亡くなった、と。
パソコンだけでつながっていた、薄い仲だけど……
その方にとってパソコンは世の中とつながるツールでもあるのだな、と思った。
その方だけでなく、足や体の不自由な人や、
ご自分は元気でも在宅介護などで外出しにくい人にとっても
パソコンは便利なツールであると思う。
……と、ここまで考えてきて
なぜ、引きこもりや精神障害のひとは、
まるでパソコンがあるから引きこもりになったように言われるのだろう。
このあいだお会いした県の教育委員会の人も、
同じような偏見をもっておいでだった。
読書にのめりこんだり、パソコンをするから
不登校や引きこもりになるようなことをおっしゃっていた。
たしかに、ふつうのひとにとって、自室にこもり
バーチャルな世界で遊ぶ人種は奇異にみえるのかもしれない。
でも少なくとも、モグにとって、パソコンは世間と繋がる道具であった。
体が不自由な人にとってパソコンが社会と繋がるツールであるように、
心を傷め、精神を病んで、人間と接するのが苦手になった人も同様なの。
体が不自由な人には「パソコンしてるから体が不自由になった」とは言わないのに。
精神を病んでいる人には「パソコンなんてしてるからさ」と平気でいう人が、まだまだいるのよね。