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『発想の航跡-2』より


1月14日:居なくならないでの、
CОSMОSのコメントにこたえるつもりで書いたら、長くなったので別項たてました。
今読んでいる本、『発想の航跡2』を読みつつ考えたことなども。

境界例というものがよく分からなくて、
手探りで情報を検索し回り、読みあさり、聞きまわったときは
つらい情報(母親の育て方のせいだとか)も入ってきて、泣きたくなったこともあるけど。
おおむね↓ここはちゃんと書いてあると思うところ。でも、かなりきつい表現です。
http://www.deborder.com/border.html

最近読んでいる本。『発想の航跡2』(神田橋條治・著/岩崎学術出版社・刊)
すううっと、こっちの気持ちに入ってくるの。
きもちのよいお水を飲んだ時のように。
肩の力が抜けるというか、楽になるというか…。長いけど、引用します。

1月9日にも書いたけど、この本は講義や講演、書評などを纏めた本です。
引用の部分は医学部5年生にむけての講義だけど、
この先生、なんていうか、目が温かいの。引用した以外の別の項目をみても。

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境界例というものは、規格化された診断名で何かいろいろ書いてある。
捨てられるのがイヤだとか、人を信頼したと思ったらすぐ裏切ったりして、とか
何かといっぱい書いてあるわ。まあ、それはそれで見ておきなさい。(略)

そうではなく、こういう特徴があって、こういう特徴がある人たちがいるから
これをまとめて、境界例と名前をつけたのであって、
境界例というものがあって、その特徴はどういう特徴かなあと思って調べて
こういう特徴があると分かったんではないの。

じゃあどうして、こういう人たちを境界例というふうにくくってカテゴライズするか。
その意図は、この人達は手に負えないからです、厄介、ともかく厄介な人がいると。
(略)
じゃあ、この厄介な人たちをまとめて境界例と名前をつけてこっちに出して
何とか厄介じゃないようにするには、どうしたらいいかということを考えましょう、
という順序で、境界例という概念ができた。

……要約:簡単に言えば厄介な人。センスがありすぎて現実社会とあわなかった
天才肌の人も境界例。たとえば竹久夢二、野口英世なども境界例的だったと。
遠くから見たら波乱万丈、生き甲斐のある人生だっただろうと言うような人なの。
けれど回りにいる人は随分迷惑したらしい。不安定で、厄介な、安定に乏しい……
(他のサイトでは太宰治やダイアナ妃も境界例だったと書いてあった・ひだねこ注)

で、どうして厄介なのか。例えば悪い人がいたら、こりゃ悪い人だから警察にまかせて
「もう知らない」とこちらが心を閉ざして別の世界の人だとしてしまう、厄介の程度が軽い。
ところが、境界例が厄介だというのは、なかなかいじらしかったり、かわいらしかったり、
何となく気持ちが分からんでもないと思えたり、ちゃんとしてやりたいなと思ったり、
さまざまな接近する気持ち、その人に入れ揚げていくような気持ちをこちらにかき立てるの。
気の毒だと。そうやっていくと、もういい加減うんざりじゃという気持ちもかきたてられる。

だからその患者さんが厄介だというよりも、もう少し正確にいうと、近くにいて、
その人の面倒を見ようとする人、まあ医者なんかもそうですよ、家族もそうですね。
その人の面倒を見ようとする人のなかに、この人に対する好意と悪意と言うかなあ、
もう手を切りたいというかなあ、気持ちとが引き起こされてきて、
やっている人の心の中が、自分で自分の心が厄介になって疲れる、消耗する。
これが境界例という概念が出てきた理由だ。
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このあと、(未来の医者に向けて)治療についてのアドバイスもあるのだけれど

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境界例の人たちの不安、厄介というもののなかに、なぜ厄介になるかと言うと
ぴたっと自分と、ぴたっと信頼できる相手を求めている。
人と人の絆、絆の確かさというものを得たい、欲しい、という、
絆がないという状況を乗り越えていこうとする本人の治療的な意欲
それによって、厄介な状態になる。
(略)
「悲しいだろうけど、つらいだろうけども、そりゃなかなか見つからないよ」と。
「けれどいつかそういう人に運良く出会うこともあるかもしれん」あるいは
「神様だけはあなたの思いを受け止めてくださるかもしれん」(略)
というような形で、すこし絆の方向を転換してやる。

本人のなかに和みをつくってやり治療者との関係を結んでいく…。
悲しみを共有していく絆、悲しみを共有する同士のような絆に置き換えていく形で
境界例のひとが安定していく…
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「境界例というものは、まあ、現代のわれわれがもつ絆のはかなさというものが
よく見えすぎてる人たちであるかもしれない」と先生は結んでいます。

モグちゃんは、いまのところ、気の合う治療者と出会えないでいます。
今の主治医でいいのか? それが昨秋からの悩みのひとつではあるのだけれど、
わたし、モグちゃんの存在そのものを厄介だとは、ちっとも思わないのです。
巻き込まれ、とか、共依存とかいわれそうだけど・・・・
それに、境界例を調べていくと、まさにわたしこそ境界例?と思われること多くて。
それについては、また長くなるので、あらためて。




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この記事へのコメント
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1. Posted by COSMOS 2005年01月16日 00:28

とってもよくわかる内容だった。
そのまますーっと入ってくるような。

こういう感覚、久しぶり。
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2. Posted by ひだまりねこ 2005年01月16日 06:11

この記事、本から引用しながらまとめていく過程で
わたしも、よりよく理解することができたみたい。

これまで心の奥にかくしていた境界例についても
少しずつ書いていくつもりです。
COSMOSが乳癌についてオープンに書いているように。

精神を病んだひとも、ふつうの人なのだと分かって欲しいから。
ううん、自分がわかりたいから、再確認したいから、かな。

(やっぱり、この本、買いかなあ。じっくり手元に置きたいもの)
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3. Posted by どて 2005年01月17日 23:12

私も神田橋さんの本は何冊か、読みました。
神田橋さんの眼差しって、深い所で優しくて、好きです。
普通だったら「欠点」みたいに捉えて終わっちゃう所でも
もう一歩進んで、それがある辛さ、切なさに寄り添いながら
「そういうのも大事にしていくといいんだよ」
みたいに言っていることもあったりして、そういうところが好き。
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4. Posted by ひだまりねこ 2005年01月18日 10:43

>どてさん

おっしゃるとおりですね。
丸ごとで受け止めてもらえるのって、ほっとします。
先生の他の本も読んでみようかと思っています。
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5. Posted by k-naruwo 2005年01月19日 01:09

おじゃましまーす。記事を読ませていただきました。
しっかり読み込んで下さったのだな。と嬉しくなりました。
確か最後の方に「誰でも感じることだと思うけれども、患者さんはその何十倍も強くそういったものを感じるのだろうな」といった類のことが書かれていたかと思います。(すみません、今本が手元にないもので・・・)ひだまりねこさんが抱いた「私こそ?」という感覚は、娘さんの気持ちを少しでも深く理解する上では「宝」になるものだと思いますので、大切になさってくださいね。またお邪魔しますね〜
by hidaneko | 2005-01-15 23:06 | かぞく | Trackback | Comments(0)


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