夕方から、某会議。
毎月は、午前中の会議〜昼食にかけてなんだけど、
年に2回は、夕方の会議〜夜の懇親会になる。
その会議、わたしなんかが参加していていいのかしら?と思うくらい
メンバーは、地元の各界のトップに近いお方々ばかり。
某会の会長さんとか、某会社の代表取締役とか、某団体の代表とか・・・
主催者側も局長さんたちや、社長や会長、相談役・・・
で、懇親会も、料亭で、わたしなんて見た事もないような
手の込んだ日本料理がずらずら・・・っと並び、芸者さんや振り袖さんが、お酌に回る。
そう、本格的(?)な「日本の宴会!」なわけ。
わたしなんて、ここにいていいの? でも、綺麗なお料理、美味しいお料理
お酒もおいしいわ〜♪ とパクつきながら、宴会会話のヘタな自分。
隣の席の、主催者側のKさんと、同じ中学、同じ女子高で・・・
なんて話していて、共通の教師の話などしてて、どっちが年上か?とか。
同い年で、わたしが早生まれだから、学年は一コ上だったのだけれど。
そんな話から、生まれた土地や出身校(小中学校)のはなしをしてたら
芸者さんのお姐さんも話しに入ってこられて、やはり同じ中学卒ということが判明。
わたしが、
「○○先生とか、××先生とか、そういえば英語は凸凹先生にもたれました」と話したら
お姐さんは
「その凸凹に、わたし三年の時クラス担任で受け持たれて。ひっどい先生でしたよね・・・
卒業のとき、お宅にお礼に行ったら、奥様が『こんな先生にもたれて気の毒でしたね』っておっしゃるくらい」
「え? その英語の先生って、うちの姉も三年の時に受け持たれたっていってました」
ひょっとして? と、旧姓を話し、
「姉は△△▽▽といいます」と、箸の袋に名前を書いたら、
「あ、あの頭がいいひと!」って、お姐さん。
わたしの旧姓がめずらしい苗字のせいもあるけれど、姉の事を覚えていてくださった。
ここまでは、まあいいの。
懇親会のお開きの後、「コーヒーでも」とさそわれて
10人ほどで行った、となりのホテルの最上階のラウンジ。
主催者側の、お偉いさん(常務)が、席をかわって、近くにおいでになって
「さきほど、△△(わたしの旧姓)という名前が聞えたんですが。
□□っていう神社の向かいに△△という家がありまして・・・」
「あのう、そこ、うちですけど・・・」と、わたし。
「ぼくの中学の同級生で△△**子ってひとがいまして、すごい美人で・・・」
「**子って、亡くなった姉です。常務も、同じ中学だったんですか?」
「そう。三年のときに同じクラスで、一番美人で・・・
頭は、ほかにもっと頭のいい人がいて、一番じゃなかったけれど
吉永小百合なんて目じゃないくらいの美人で・・・。
**子さんは、某女子高でしたよね」
「はい、うちは、すぐ上の姉以外は、みんな某女子高でしたが」
「そのあと、何某堂って会社に勤めたでしょう」
「何で、知っているんですか〜? 高校はともかく、会社までご存知とは。
そのあと、何某学園で洋裁をならって、21歳で亡くなりましたが」
「いやあ、美人薄命といいますが・・・綺麗な方だった」
わきから、
「ふつう、高校までは知っていても、卒業後の会社まで知りませんよ。
常務、あこがれの人だったんでしょう」
と茶々がはいったけれど。
30年以上も前のことを、覚えていてくださったとは。
まさか、亡くなった姉の生前のことを記憶にとどめていて下さった方がおいでとは。
いやあ、上の姉は美人で、すぐ上の姉は頭のいいので有名で
うちの母が自慢していたはずだわ。
そっか〜、親の欲目だけでなく、衆目も認めるところだったのだ〜。
それで、一番下のわたしは、つるたぐりの、いてもいなくてもいい子・・・
何をやっても、上のふたりには、かなわなかったのだ。「良い子」を演じるしかなかったんだ。
うーん。そうそう。思い出したわ。でも、もう、そう苦くもない思い出。
ただ、まあ、地元の狭さというか、ネイティブの住人たちの繋がりというか
妙な体験をした夜だった。