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あの冬は寒かった

病人の枕元で、つまらない言い争いをして、
わたしは病室をとび出し、泣きながら裸足で雪の道を走って帰ったんだ。
あのころ病院は、下足をあずけてスリッパに履き替えることになってて
わたしは、履物を取り換えるゆとりもなく飛び出して……

だれもいない暗い家に帰り、まもなく、電話がかかってきて
そのあとの記憶は欠落している。
とけた雪がまた凍った、夜の、白と黒の斑な道をはっきりおぼえていて……
だから、わたしは、父の死に目にあっていないのだ。
それまでの週末、どんなに忙しくても、無理して帰省していたのに。
若いって、馬鹿なこと。

お仏壇の前で、お坊さんの後ろに座り、般若心経などを聞きながら
そんなことを考えていた。

父が亡くなったのは、わたしが21歳になってひと月後、
父と「大人の会話」ができなかったのが、心残りだった、とか。

父は、わたしが生まれたときには50代半ば近く。
糖尿病で入退院をくりかえしていた、とか。

高校時代の反抗期、夜、父がつかう、尿瓶の
糖尿の甘ったるい尿の臭いがたまらなくいやだった、とか。

歩行も困難になりながら、温泉治療したら歩けるようになるのでは、と
一人で湯治にいって、尿失禁して、廊下を、こぼしながら歩いて
宿の人から母に、迎えに来るように連絡がきた、とか。

その湯治場から、絵入りのはがきで、
どんなふうに頑張っているか、娘のわたしあてに
何枚も、葉書をよこして、
でも、その当時、わたしは父には、たぶん、すげなかったのではなか、とか。

若いって残酷。

いつだったか、足のゆびの爪を切ってあげて、すごく感謝されたこともあったっけ、
たぶん、あれが、唯一の、わたしの親孝行じゃなかったかな、とか。

いろんなことを思い出してしまった。
お経がおわったときには、鼻がぐずぐずして、
お坊さんにお礼を言う言葉が、くぐもってしまった。

メーテルリンクの「青い鳥」で、
「死んだ人は、生きている人が思い出したとき、目をさます」という場面があって
死後の世界感としては、一番わたしに合っているようで。

父は、わたしの中で、生きている、の、かな?
あのとき、目をさましたのかな?
by hidaneko | 2007-02-11 21:56 | かぞく | Trackback | Comments(0)


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