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能楽鑑賞会「融(とおる)」

友達に誘われてお能を見てきた。
夏に島でお素人さんたちの会を見た友が
「プロのやるお能を一度見てみたい」と熱心になり、
たまたま当市でやる能楽鑑賞会のチケットをゲット。

私としては、大昔、バーサンと一緒に東京の能楽堂で見たのと
こちらの薪能を観たことがあるだけ。すごく久しぶり。
バーサンは観世流だったけれど今回のは宝生流。
どういう違いがあるのか、私は知らないけど。

今日の能楽鑑賞会では、活字印刷された詞章が配布された。
照明も能舞台が明るいだけでなく客席もさほど暗くなく
舞台を聞きながら時々詞章を確かめたりできて、
謡われている内容もわかって、その情景が目に浮かぶの。
ちょうど優れた語り手による素語りを聞いていると
目の前に情景が浮かぶように。
昔の栄華と、いまの廃墟と、それを照らす月……

もちろん、観に行く前に、ネットで調べたりして、
こちら や、こちら を、参考にどういう曲なのかおよそ知ってたけれど
概要
東国出身の僧(ワキ)が京都六条の「河原の院」に着くと、汐汲みの老人(前シテ)が現れる。老人は僧に、この地は昔の源融みなもとのとおるの邸宅の跡であると教え、二人は河原の院の情趣をともに楽しんでいたが、老人は源融の物語を語ると、昔を慕って泣き崩れてしまう。やがて、僧に請われて近隣の名所を教えていた老人は、汐を汲もうと言うと、そのまま汐曇りの中に姿を消してしまうのだった。この老人こそ、源融(みなもとのとおる)の霊であった。その夜、僧の夢の中に源融の霊(後シテ)が在りし日の姿で現れると、月光のもとで、懐旧の舞を舞うのであった。
六条の邸宅や、空にかかる月、泉水の水面に映る月、籬垣や山々など
ありありと目み見えるようで。幽玄なんだけど、わくわくもしたの。
特に笛の音が高すぎもぜず低すぎもせず、幽玄な雰囲気を醸し出して

会場の能楽堂のある建物の周りは、春なら桜の名所。
秋の今は、桜が紅葉しかけていて、とてもきれいだった。

鑑賞会を終えて出てきたら、ちょうど半月が高く上っているところ。
少し朧だけれど、汐霞?な気分。
秋の優雅なひと時でありました。





ほんとは、出かけるまでの裏事情がありまして
誘ってチケットをゲットしてくれた友達は仕事で抜けられない用事が出来て
「ならば、誰か友達にゆずるか、よければモグに」とお声をかけていただいた。

で、モグと行くつもりだったのだけれど
数日前にR君からメールで、
「ヒーちゃん、ミーちゃんの保育園で作品展があるから見に行きませんか」と。
それが、今日の午前中の日程。それも、ふたりが別々の園。
Gサンに「一緒に行きませんか」と声をかけたけれど、
「俺はいかない」との返事。モグと行くことに…。

「大丈夫?」と確かめて聞いてみたら「大丈夫よ」と。
ふたりで出かけたのだけれど、疲れたのね、モグは。
帰ってきたらぐったりして、お昼ご飯も食べたくない様子。
それでも、無理やり「食べて薬を飲みなさい」と、
パンにアボカドディップを乗せて食べ、薬を飲んで様子をみていたけれど
「だめ……」と、それが、会場前30分(開演前1時間)

昨日とか、数日前なら別の友達に声をかけることができるけど
1時間しかなくては、無理………と、頭をフル回転。
近所に住む親しい友達に電話して
「今、ひま? これから5時半くらいまで空いてる?」と。
空いているというので「お能を観にいかない?」
「は? なに? 行ってもいいけど、どうすればいいの?」
「着替えてマンションの下に降りてきて。迎えに行くから」

彼女も「お能はいつか見たいと思っていたけれど機会がなくて」と。
モグも、チケットが無駄にならなくて気が楽になったと思う。



by hidaneko | 2017-10-28 22:39 | みきき | Trackback | Comments(0)


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