《月桂樹・ローリエ》草木への思い

 これも子供のころからある木だった。幹がまっすぐ伸び、上の方で丸くこんもりと葉を茂らせていた。

 子供のころは「ゲッケイジュ」として知っていても、ローリエとして料理に入れるということまで知っていたか分からない。この木の前には畳三枚分ほどの空き地があり、そこは小さかったわたしの遊び場でもあった。姉たちとのままごとも、ここにゴザをひいて遊んでいたし、ゴム跳びや縄跳びもここでしていた。ゴムの片方を幹にくくりつければ、二人だってゴム跳びができた。ひとりがもう片方を持ち、ひとりが跳ぶのだ。縄跳びも、片方を幹に結んで、二人でも大縄跳びの「おまわし」ができるのだった。

 夢中で遊んで、夕方、家に戻ると足を洗わされる。春先でまだ水が冷たい時、ブリキのバケツに、冬菜など菜っ葉を茹でた緑がかったお湯が取ってあると、冷えた足もぬくく、嬉しくなるのだ。




 大人になり、生家へもどってきたとき。月桂樹はなつかしかった。東京では、カレーやシチューなどを煮るとき入れるローレルは、店で瓶に入った乾燥物を買ってきていた。それが、生で、すきなだけ取れるのだ。実際は生の葉より干した葉の方が香りが高いことを、あとで知った。

 煮物に入れるとき、ローレルは切れ目を入れると香りが出やすい。わたしは料理バサミで縁を切り、魚の形にして入れている。香りも立つし、ちょとした遊び心。

 スタンダード仕立てのような形をしていた月桂樹が、切られたことがある。借家に住んでいた男の子が、バットのスイングで幹に傷をつけたのだ。今にして思うと、少年もストレスが溜まっていたのだろう。何度も何度も打たれた幹は樹皮がはげ、そこから枯れてしまった。

 けれど、この木も強い。主幹が根元から切られても、ひこばえが何本も伸びて、株立ちの木になったのだ。そして、背よりも高く伸び、こんもりと葉を茂らせた。さらには、根元から離れたところにも、地下の根っこでつながっているのか、ひこばえのような細い月桂樹が何本もはえてきたのだ。

 月桂樹を切らなくてはならないときまったとき、この細い月桂樹の根元を掘り返し、根っこを少しつけて掘り上げることができた。植木鉢に植えたら根付いたらしく、まだ枯れていない。これを育てれば、そのうち料理用のローリエの葉が取れるだろう。ひょっとしたら、切られたあとからも、まだ芽吹いてくるかもしれない。期待している。

 でもそれまでは、時間がかかるだろう。そう思って、月桂樹を枝ごと何本も切り、束ねて干してある。今、台所にも、寝間の縁側にも、二階の縁側にも……まるで魔女の家の薬草のように、葉っぱの束が干されているのだ。


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by hidaneko | 2016-12-31 23:20 | 草木への思い | Trackback | Comments(0)
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