プラム・すもも(草木への思い)

春先、桜より少し遅れて、真っ白い花をたくさんつけた。
通路を通る人に、「桜ですか?」とよく聞かれた。
そんなとき「プラムなんですよ」と答えていた。
プラムもスモモも同じ種類だという。スモモを「李」と書くと、高校の頃にならった漢文を思い出す。
「桃李不言、下自成蹊・桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」

スモモには多くの種類があるとういう。うちにあったものの品種は知らない。母が植えたのだ。何年前のことだろう。まだ細い若木の頃から知っている気がする。
春先に白い花をつけたプラムは、梅の実の実る頃、緑から黄色へ色を変える。「大石」と名札がついて市場やスーパーで売られているものに似ている。でも買った「大石」はカリリと固くあまずっぱい。

うちの場合は、さらに少し熟し紅がさした頃が食べごろだ。低い枝の実は背のびして採り、高いところのは脚立を立てて、小籠を手にわたしが木に登る(というか、わたしが上りやすいように、果実に手が届くように剪定してるのだ)。柔らかく木で熟した果実を掌にのせ、そっとひねるとすぐに採れる。いくつも、いくつも、手の届く限り実を採る。
プラムは夫が好きだった。初物は仏壇にあげ「チン」と鐘を鳴らして、すぐに下げてきていただく。甘酸っぱいというより甘みの勝ったジューシーで爽やかな味だ。

木に元気があったころ、通路の上を覆うように枝葉が茂っていた。南側の隣家へも板塀を超えて枝が伸びていた。
市内に住む長姉が来た時、言われた。
「なに? 幽霊屋敷みたい。少しは切ったら」
切ってはいたのだ。徒長枝は実を取るときについでに切っていた。冬場には枝ぶりを見て、わたしの手の届くように剪定していた。この木は庭師さんの手入れする木ではなかったから。小枝は赤みを帯びてすべすべとして、切るのも、切った枝を束ねるのも苦にはならなかった。

ただ、この木は、アメリカシロヒトリがつきやすいのだ。初夏と秋口の年に二回が要注意。
通路を歩いていると、石畳に黒いツブツブが落ちていることがある。見上げると、枝に白い蜘蛛の巣のようなものが密集してる。中には5ミリから1センチほどの毛虫がうごめいている。このチャンスに退治すれば手間はかからないのだ。ハサミを手に脚立に上がって、蜘蛛の巣状のついてる枝を切り、ビニール袋に入れる。アメリカシロヒトリを落とさないようにするのがコツ。かわいそうだが袋の中に殺虫剤を噴霧する。

この時期を逃すと、というか、アメシロの発生に気がつかないでいると、2、3センチに育ち蜘蛛の巣状のものから這い出し、散らばっていく。糸を出して枝にぶら下がっていたりする。こうなると面倒だ。アメシロのついた枝は、旺盛な食欲で葉を食い荒らされ、坊主になる。いや、葉柄だけのこして、葉っぱの部分を食べるから、枝に葉柄がぶらぶらしていることになる。

Gサンは、わたしより通路を通る機会が多いのに、石畳の黒い糞には気がつかない。脚立に上るのも、木に登るのも好きじゃない。
「あんな木、切り倒してしまえ」という。
プラムは好きだと思っていたのだけれど、それを切れという。山の村の生まれだから、木に馴染んでいて樹木は好きだと思っていたのだけれど違っていた。手入れを面倒がるたちなのだろう。高いところが苦手で登りたくないのはわかるが、わたしが剪定して切り落とした枝葉を、自発的に集めて束ねることもしてくれない。頼めば「お前は命令ばかりする」と不機嫌になる。面倒だから、わたしが自分ですることになる。

一度、大きく剪定したことがあった。それからしばらくして、プラムの木は、半分枯れた。片側だけ枯れてしまったのだ。もう一方の幹から枝を伸ばしている部分には花が咲き、実もなったのだった。Gサンは、その実を美味そう人食べていたけれど。
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最後のプラム

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by hidaneko | 2016-12-12 21:14 | 草木への思い | Trackback | Comments(0)
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