ささくれ・女と男について(といっても恋愛論じゃないよ)

あれこれと、ささくれ的に引っかかることがあって、
ちょいと考えたりしてた。
書きたいと思ったけど、だらだらと、思いつくままで、
話の落とし所もみつかってない、わからない。
まあ、思ったことをつぶやいてみる。
長くなりそうだから、moreに書こう。




「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」というのは、福沢諭吉の言葉だけれど、一万円札にもなっている福沢諭吉が元祖ヘイトスピーカーだったということは、 こちら だけでなく、最近はかなり聞くこと。

リンク先によると、「福沢が平等を説いたのは、あくまで中産階級に属する男性に限定してのことであって、農民や職工、さらに女性に対しては、徹底した差別主義者だったという」とのこと。

最近聞くのは、「戦前はよかった」という言葉。保守系右翼系の人たちだけでなくて、かなり進歩的な考え方をする女性からもこの言葉に「いいね」をつけていたのを見たときにはびっくりした。まあ、原発はなかったけどね。それだけはいいけどね。
でも戦前なんて男尊女卑、女性に参政権はなかった。家父長制度で家の中でも女性が自由にモノを言ったりできなかった。(うちは亡父も亡母も明治の生まれだから、わたしもこの辺のことはよくわかるよ。)

わたしは「戦争を知らない子どもたち」で、戦後のばりばりの民主主義の中で育った。けど、小学校も中学でも、クラス代表、当時の言い方でいうと級長は男子で、副級長は女子だった。女子が級長になることは、わたしの経験では、なかった。級長、副級長は、学級会での選挙で選ばれたけど、わたしの行ってた組では「続けてはやらない」というルールがあって(多分、先生が決めた)、一年の前期と後期で級長・副級長が変わっていた。実はわたし、副級長だった。S君が級長。もう一つの組み合わせが級長がO君で副級長がKさん。この二つが交互に勤めていた。今考えると変だけどね。

中学へ行っても級長は男子で、女子は副級長だった。中学は3つの小学校から行っていて、わたしもそうたびたび副級長はやらなかったけど。生徒会長は男子で、女子は副会長だった。
小学校も中学も、名簿は男女別々の名前(姓)の五十音順で、出席を取る時など、必ず男子が先に呼ばれた。女子はあとだった。

だけど、わたし、高校は女子校へ行った。見渡す限り女ばっかり。当然か。(そうそう、新卒の男子教諭がすぐ顔を赤くするのを笑ってたなあ)
女子高校は女子ばっかりだから、生徒会長も女子。応援団長も女子。それが当然。思ったことが言えた。「三歩下がって…」なんて感じはなかった。女だから謙虚に、などということはなかった。自分の意見を言い、自分で責任を取る。それが当たり前だった。

そして、短大。男女混合の名簿だった。名前(姓)の五十音順で呼ばれた。課題の多いコースだったけれど、よしあしの講評は男女関係なく、優れたモノは評価された。(わたしは落ちこぼれだったけどね)

この、感受性の強い時期の、女子校での体験と、短大での男女同等の評価は、わたしの考え方にかなりの影響を与えたと思う。男女同権が刷り込まれた。当時は特に気にもしなかったけど。それが「ふつう」だったから。

会社に勤めてから、お茶汲みはやりましたが、仕事では男女はなかった、と気持ちでは思ってた。だけど、ふとしたことで同じ仕事をしている男子の給料の額を知り……はい、ご想像の通りです、同じ仕事をしてたのに、男子の方が上だった。苦い汁を飲み込んだ。

会社勤めのなかで、ある女性は「おんな」を売りにして仕事をうまくこなしてた。わたしから見ると媚を売って、甘えてた。わたしはそれが嫌だった。絶対したくないと思った。「おんな」を利用するなんて。ケッ!
仕事の下請けの業者さん(担当者は男性)でも、好きでもない相手にコーヒー一杯奢られるのはいやだった。必ず割り勘のお金を払った。そういう意味では、突っ張ってた

*憲法第二十四条:
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

結婚当時、Gサンとは6歳違っていた。向こうが上。とうぜん、人生の先輩として、また、当時は同業だったから、教えてもらうことも多く、その意味では敬っていた。だけど、人権的には対等だと思っていた。

長い結婚生活の中で、年齢差は縮まっていった。今は仕事も同業じゃないし(Gサンは退職したけど、わたしは職業を変えたけどまだ働いてる、でもどっちが上とかないと思う)、特に生活面でも教わることもないし、まさに対等だと思っている。
どうも、それがGサンには面白くないらしい。諍いがあるたびに「俺は6歳上なんだから敬語をつかえ」っていうもの。日常でも、口に出さなくても、そう思っているのかも。


話が逸れた。どっこいしょ、と元に戻す。
つまりは、わたしのなかに、青春時代に刷り込まれた「男女同権」は根強く生きている、ってこと。
いま、我が家では家の後ろの工事のことでばたばたしているのだけれど、この工事を依頼したのはわたし。見積もりをとって、やりくりしているのも、わたし。工事のために小屋を撤去するその小屋の荷物の整理、捨てたり片付けたりも、全部わたしがやってきた。工事に伴う、電気、ガス、電話などの会社への工事依頼なども、全部わたしがやってきた。

電気、ガス、電話などの会社へ、工事依頼の電話をすると窓口は女性だった。全部、受付は女性だった。といっても、工事の詳細について尋ねても的確に応えてもらえた。
だけど、工事に来るのは男性だ。上下水道の工事の会社から来た作業員も男性だった。そして、たまたま通りかかったGサン(男性)の意見が入れられ、工事がややこしくなった。わたしには事後報告だった。

そして、今日、電力会社から作業の下見にきた人ふたりも、男性だった。
たまたま、わたしが出かける、ほんとに、出かけようと玄関を出たところで、電力会社の車が止まったところだった。急遽、下見に立ち会う。
と、Gサンが隠居所から現れた。外で会話してる声が聞こえたのだと思う。工事の担当者は、男性(Gサン)相手に話す。それまでは、わたし(女性)相手にはなしていたのに。男性が現れると男性相手に話す。
たしかに、母屋の電気の契約者は世帯主であるGサンだ。だけど、工事の依頼主はわたしなんですけど〜!
ここで、Gサンの意見を言われても、困るんですけど〜!!!

わたしは、出かける用事があり(某所での会議)、時間が気になる。方やGサンは時間はフリー。
男性工事担当者は、Gサンに話しかける。


わたしの心が軋む。逆さ爪のように、ささくれが痛む。



ほらね、やっぱり、落とし所がない、しり切れとんぼだけど。
今回の、わたしのとっては大きな工事、責任はわたしなんですけど。
たのむ、Gサン、ややこしくしないでほしい。

この前、クリニックにいった時、工事のことも話して、T先生に「ちゃんと話し合っておかないと」と言われたのだけれど、わたし、Gサンに説明してる。工事の手順とか日程とか、金額も言っているし見積もりも見せているけど、Gサンには、全体像が見えないらしい。
…というか、Gサンには工事の必要性がわかっていないようだ。簡便に保全的にといわれても、それは現実的じゃないのだ。いろいろ考えて、プロにも相談して決めたこと。苦渋の決断。そこへGサンは自分の都合ばかり言われる。Gサンのワガママで工事をややこしくすると、それだけ費用がかさむ、ということが分からないらしい。金を出すのは自分じゃないからね。

ため息が漏れる。

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by hidaneko | 2016-11-29 20:07 | かぞく | Trackback | Comments(0)
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