あれから5年。
被災された方々の中でも、
もう5年経った、の人もいるだろう。
まだ5年しか…という思いの人もいるだろう。
今も10万人近くが避難生活を続けていると聞く。
前向きに、新しい生活に向かって取り組んでいる人もいるだろう。
悲しみの底から立ち上がれずにいる人もおいでだろう。
「原発さえなければ…!」と歯噛みしてる人も、
今日はいろいろなことを、ぐるぐる考えていた。
ちらりと見たテレビニュースの映像では、まだまだ、という感じ。
きつくて、特番などは見なかった。すまん。
胃がきゅんと硬く冷たくなってしまうのよ。
当事者の方々は、そんなもんじゃないと思うけど。
実は、今日は家事をしながらも、昨夜お悔やみに行った友のことが頭に浮かんでいた。
夫の視点で語られた夫婦のことなど、残された立場の言葉を思い出していた。
そして、
「今日が命日の方々が大勢おいでなのだ」
と、ハッと気づいた。
「死者何人」などと数字にまとめられると、漠然とするけれど
残された人の気持ちを思いやると、具体的に「さぞや……」と想われる。
まだ見つけてもらってない方、行方不明の方もおいでだろう。
冷たい海の底や放射能汚染された土地に放置されたままの方も…
亡くなった方々のご冥福を祈ります。
生きている方々が、穏やかな日常をとりもどせますように。
そして…、
東日本大震災の陰に忘れられがちだけど
3.12、新潟県と長野県の県境でおきた地震も忘れないでほしい。
山間部で、人的被害はすくなかったけど、過疎地だけに問題も多くて
(
新潟日報より)
県境地震、12日で発生から5年
進む人口減、活性化を模索
東日本大震災の翌日に発生し、長野県栄村で最大震度6強を観測した新潟・長野県境地震は、12日で発生から5年となる。本県では十日町市と津南町で震度6弱を観測し、5市町で45人が重軽傷を負った。被災地域では人口減が進むが、地域活性化や防災力向上を目指す住民らによる取り組みも続いている。
地震は2011年3月12日午前3時59分に発生した。長野県栄村では3人が死亡。本県では1人が重傷、44人が軽傷を負い、住宅被害は上越、長岡、南魚沼、柏崎、燕の5市を含む7市町で全壊39棟、半壊258棟、一部損壊2088棟に上った。
十日町市や津南町では、被害が大きかった山間部を中心に学校の統合や商店の閉鎖などがあり、地域社会の維持が課題になっている。一方で「大地の芸術祭」の開催や「地域おこし協力隊」の移住など、地域外との交流を活発にする取り組みが生まれた。住民が主体となって防災マップを作成するなどの動きもある。
11日は十日町市本町2で、県境地震と東日本大震災からの復興を願うキャンドルイベントが開かれる。
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福島原発はアンダーコントロールだと世界中に嘘を言って五輪を誘致してくる首相。
汚染水を何度も「汚水せん」と言い間違える林幹雄経済産業相。
こちら
制御棒がひとりでに上がって、また下りたという不可思議な柏崎刈羽原発。(
こちら
なにをやっているんだろう、と思ってしまう。
オリンピックに莫大な予算をつぎ込んだり
原発を再稼動させようとしたりしてないで
復興に回してほしいと思いますよ、マジで。