わたしが知らなかったこと(天皇ご訪問のパラオについて…)

天皇陛下ご夫妻がパラオをご訪問なさった。
もう帰国されている今となっては、遅い日記なのだけれど
昨日まで、自分のことで忙しくて、
心にかかっていたけど書けないでいた。
前の日の4月7日の地元紙の夕刊に載っていたこと。

見出しは、大きく
「下等扱い」忘れられず  住民、今も思い複雑
日本統治下のパラオ

リード:
天皇、皇后両陛下が戦没者慰霊のため8日から訪問されるパラオは、太平洋戦争終結までの約30年間、日本が統治を続けた。日本語や天皇制の教育を受けた現地の人々には訪問を歓迎する声がある一方、「三等国民」と呼ばれ差別を受けた歴史に、今も複雑な思いを抱く人たちがいる。

本文:
「一つ、私どもは立派な日本人です」「一つ、私どもは天皇陛下の赤子です」

パラオの中心地コロールに住むニナ・アントニオさん(83)が、戦前に通っていた「公学校」の風景を流ちょうな日本語で再現した。毎朝8時、教室前に並ぶパラオの子どもたち。「黙とうのときは、日本の兵隊さんが弾に撃たれないようにと祈りました」

戦局の悪化に伴い、教育が軍国主義になったのも本土と同じだった。コロールでの空爆が始まる直前の時期には、習う歌も「お手々つないで」などの歌詞の童謡から、軍歌の「見よ東海の空明けて」「勝ってくるぞと勇ましく」に変わった。

だが、当時の日本語教育などは「未開な現地住民を文明化し、支配を受け入れるようにすること」が目的。「国民」にも日本人を「一等」とし、沖縄と朝鮮半島出身者を「二等」、現地住民を「三等」とする暗黙の了解があった。

公学校の放課後には日本人の家庭で手伝う「練習生制度」があった。「奥さんは風呂場にお金を置いて私が泥棒かどうか試しました。それが一番嫌でした」とニナさん。

2009〜13年に駐日大使を務めたミノル・ウエキさん(84)も、日本人の父とパラオ人の母を持ち、日本人が通う学校に籍を置いたが「パラオの血が入っていると、いくら優秀でも級長にはなれなかった。島民と呼ばれ、野蛮人のグループのように扱われた」と理不尽さを忘れない。

慰霊を目的とする両陛下の訪問には、元パラオ大統領のクニオ・ナカムラさん(71)が「亡くなった多くの魂を追悼する素晴らしい機会」と話すなど歓迎の声も広がる。それでも、ニナさんは「私たちは一番下だから会えないんでしょう」と寂しそうにつぶやいた。
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(写真がぼけててごめん。新聞紙を携帯で撮ったので…)
添えられていた写真の下に「共同」とあるので、共同通信社から配信された記事だと思う。
ネットで探そうとしたけれど、見つからず、上の文章は新聞記事から手入力した。書き写しながら居たたまれない気持ちになった。

   ・   ・   ・

わたし、知らなかった。
「国民」に一等、二等、三等があったことを。
朝鮮半島の出身の人たちや在日の人たちを、差別的に見る目があることは知っていた。恥を言うようだけれど、存命中のバーサンも、大陸や半島出身の人たちを蔑視する発言をすることがあった。本人は特別意識はしていなかっただろうけれど。
……その「意識せずに」というのも怖いと思った。刷り込まれている、ということだもの。
上記の新聞記事を読んだ時、「教育っておそろしいな」と思ったの。だけど、国中でそういう見方をしてたのなら、子ども、大人関係なく、そういう差別的な感覚が身にしみ込んでいたのだろうな、と思う。

ツイッターでも、テレビでも、他の報道でも、この差別のことを取り上げるかな、と思って見てたけど、わたしの目には触れなかった。「全ての人々を追悼」という、天皇陛下の思いを伝える報道は幾度も見かけたけれど。

飛躍するかもしれないけれど
昨今の在日の方々に対するヘイトスピーチとか、沖縄の基地問題を報じようとしない体質とか、戦前、戦中の、日本の国の考え方を、まだ引きずっているのでは…、と感じたの。それだけ沁み込んでしまっているのかな、と。

あと、教科書検定で、北海道のアイヌ民族についての記述なども、根っこは同じところなのかな、と。「日本」が、「日本人」が偉い、という偏見。日本は単一民族国家だという誤解? 思い込み?・・・うーん、話がすこしずれてきたな。
うん、ずれてる。

えーと、教育とか、すごく大事。何をどう教えて行くか、教えないでおくか。特にそれが子どもの場合、小さいときから繰り返し教えられたら、沁み込むわねぇ。







東京新聞  TOKYO Web より

【社会】
両陛下 パラオ訪問 国問わず鎮魂
2015年4月9日 朝刊
 

晩さん会で乾杯される天皇、皇后両陛下=8日、パラオ・コロールで(代表撮影・共同)
 【コロール(パラオ)=水谷孝司】天皇、皇后両陛下は八日午後四時(日本時間同)すぎ、戦後七十年の節目に当たっての戦没者慰霊などのため、羽田空港発の民間チャーター機で太平洋戦争の激戦地パラオに到着された。パラオ政府主催の晩さん会で、陛下は「私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」とお言葉を述べ、国籍や戦場を問わず鎮魂したいとの思いを話した。

 陛下はパラオを含む太平洋のミクロネシア地域について、「日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました」と言及。巻き込まれた島民らのことも「空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」と振り返った。

 厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、ミクロネシアの人々が戦後に慰霊碑や墓地の管理、遺骨収集に尽力してきたことに感謝の言葉を続けた。第一次世界大戦後、日本の委任統治領としてパラオに南洋庁が置かれ、交流があった歴史に触れ、さらに深まることへの期待も示した。

 陛下は八日午前に羽田空港を出発した際、安倍晋三首相らを前にしたあいさつで「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深くしのばれます」と表明。ミクロネシアでは「激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました」と述べた後、パラオ・ペリリュー島の飛行場をめぐり一九四四年に日米両軍が衝突したことにも触れた。

 「日本軍は約一万人、米軍は約千七百人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と、当時を記憶することの大切さを訴えた。

 慰霊のための外国訪問は、戦後六十年の二〇〇五年六月に米自治領サイパン島を訪れて以来。この際も出発時のあいさつで「先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」と述べ、現在の日本が多くの犠牲の上に築かれていることを常に心して歩みたいと話した。

 


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by hidaneko | 2015-04-10 13:32 | うきよ | Trackback | Comments(2)
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Commented by くろねこぶんた at 2015-04-10 21:25 x
載せてくれてありがとう。
「戦争がはげしくなる前に住民を疎開させた」
というような話は見聞きしたのだけど、
ひだねこさんが書いてくれたことは、あちきが見聞きした報道の中にはなくて、
当時の日本が、パラオの人たちに対しては扱いが違っていたのか、
それとも報道されないものがあるのか…と思ってました。
7日近辺の新聞あわただしくてちゃんと読んでいないのだけど
もう一度見返してみようと思います。
(もしかしたらこういうことって、地方紙のほうが
 まだちゃんと書いてくれるのかもしれないね。)
Commented by hidaneko at 2015-04-10 21:45
>ぶんたさん

コメントありがとう。
わたしも、地元紙の夕刊で見て以来、
ツイッターとかに取り上げる人がいるかな?って
注意してたのですが、ニュースなどでも他に報道されなくて、
「あれっ?」と思ったのでした。

でも、この日記を書いた後、「パラオ 三等」で検索したら、
ブログでヒットする物がありました。
そこでは琉球新聞に書かれていた、と。

http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/764d44ddd37ead366d2ce1e6fd963c92

共同配信だから、地方紙が主なんでしょうね。


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