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あの日のこと・5月23日(水)・臨終

今日は2012年6月4日(月)
あの日から明日で二七日(ふたなのか)、
ほぼ普通の生活に戻っています。
だけど、ふいに、感情が揺さぶられるのね。
今日、歯科の予約があって行ってきたんだけど、
この予約をしたとき(5月7日)には
バーサンはまだ生きていて、予約日を決めるのに
「年寄りが死にそうなので、
場合によってはドタキャンになるかもしれません」と
先生に申し上げたのだった……って、思い出したら、
胸の奥に込み上げるものが。

変だね。

やっぱり、書いておこうと思った。
どこまで書くか分らないけど「そういうのはちょっと」という方は、
more以下はスルーしてください。
(書いてたら、つい長くなっちゃった)




2012年5月23日(水)
あの朝は、ふつうだった。
早朝覚醒が習いとなりてほぼ4時起き。6時過ぎに下へおりていって、バーサンの様子を見る。前日ととくに変わりなし。蒸しタオルを作り、おむつ替え。きれいにしてあげる。熱もそうない。足が冷たい。前の日から外反母趾の曲がり角に赤黒い斑点がでていて、訪問看護師さんに「血行が悪くなってきてるのね」と言われてた。ペットボトルの湯たんぽのお湯を50度くらいのに入れ替える。

栄養剤をセットし、経鼻管の先が胃に入っているのを確かめるため、注射器でエアを15mlほど入れ、聴診器で「ボコッ」という音を確かめる。その時は心臓は動いていたんだ。目も動いて、わたしの動作を追っていたもの。栄養剤を落とし入れ、わたしは自分の朝食にかかる。Gサンは前日から24時間勤務で留守。モグは前日から「寝」に入っていた(24時間以上の睡眠)。
だから、わたしと、バーサン、ふたりが部屋にいた。静かな明るい朝だった。

ふっと気がつくと、バーサンの唇の色が失せている。口からのぞく舌の色も変。「まさか?」と、喉のくぼみに指を当てる。前の日に、R君が教えてくれた場所。「ここで脈を打っているから」と。わたしも試して見て、手首より分かりやすいと思った。そこで脈が触れない。聴診器を胸に当てるけれど、自分の鼓動が響いて、よくわからない。栄養剤を入れていたのを止め、モグを起こしに行った。

「起きて、バーサンが変なの。来て見て」
モグも聴診器をあててみて、首を振る。時計は7時45分。

M田先生に電話する。すぐ来てくださった。
先生はバーサンの手首の脈を取り、まぶたをあけて瞳孔が開いているのを確認し、わたしの目を見てうなずいた。
「はい、ありがとうございました」と
わたし、深く頭をさげた。ほんとうに有り難く思った。M田先生がいたから最期を看取れた。それが8時少し前。
(あとで死亡診断書を見たら「7時46分」となっていた。M田先生は電話を受けた時刻を死亡時刻にしてくださったんだ。死因も、呼吸困難や肺炎ではなく「老衰」となっていた。ありがたかった)

Gサンの携帯に電話する。仕事中でも電話していいと言われていたから。受けたGサンは、開口一番「いま仕事中だから…」と怒気をふくんだ声。それは分っているけど。「わかった、かけ直す」とでも受けてくれたら…と悲しくなる。
R君に電話する。仕事中でも何かあったら電話してと言われていたから。携帯ではなく仕事用のPHSにかけたら、すぐに出て「今日は忙しくないから、休みをもらってすぐに行くから」と言ってくれた。
姉に電話する。家は留守で、携帯に電話する。こちらも仕事中で「聞き取りにくいから、あとでかけ直すね」と。
アリさんにはモグちゃんが連絡してくれた。「日程が決まったらまた連絡するから」と。

そうこうするうちに、Gサンが帰ってくる。葬儀社に電話してもらう。近所の葬儀社を選び、月曜日に相談に行ってもらっていたよかった。段取りがわかるから。葬儀社からお寺の方へ連絡してくれるという。葬儀社の方もすぐに来てくださるという。

ふっと気が抜ける。何をしたらいいんだろう……ちょっと考えて、近所に住む友達Yさんに電話した。バーサンのことを気にしてくれて、前から「必ず連絡してよ」と言われてたから。
彼女はすぐに駆けつけてくれた。まだ介護ベッドのバーサンに手をあわせ、わたしをハグしてくれた。
「おつかれさん。頑張ったね」といって。
葬儀社の担当のS山さんがみえられ、R君も来てくれた。
枕経(まくらぎょう)をあげてもらうのに、バーサンを介護ベッドから移すという。
仏間のとなりの茶の間(客間)に、移すことにする。S山さんが葬儀社に用具を取りに行っている間、R君に「掃除機かけて」と頼むと、フットワーク軽く動いてくれる。

モグには、メモをとってもらう。これからすること、連絡するところ、用意するもの等々。わたしの頭が混乱してくるのを整理するのを手伝ってもらう。(最初メモ用紙に書いていたのを、あとでノートに貼ってもらい、つづきはノートに書いてもらう。これがすごく役に立った)

Gサンがきて、葬儀社とお寺との連絡で、25日が友引なので(友引はお寺が葬式を出したがらないという)で、25日お通夜、26日葬儀と決まったという。
GサンはGサンの兄姉に電話し、わたしはわたしの上の姉たちに電話する。

掃除のできた茶の間に、バーサンの以前使っていたふとん(介護ベッドではエアマットだったので)を敷き、シーツをかける。Yさんと「シーツ要る? 要らない?」と問答。敷いておいて要らなければはずことにした。「じゃあ、わたし帰るね」とYさん。

葬儀社の方が必要なものを持って戻ってこられる。S山さんはシーツの上に葬儀用の白い布団を敷き、バーサンを移すことに(バーサン、まだパジャマのまま)。R君が頭の方をもち、S山さんが足元をもって、バーサンを北枕に寝かせる。
「25日がお通夜ということですが…」と、わたし。「実際の話をして悪いんですけど、この陽気で大丈夫でしょうか?」
「はい。ドライアイスを抱かせますから。タオルを何枚か貸してください」とS山さん。ドライアイスをフェイスタオルで巻いて、バーサンの体の上に載せ、白いふとんをかけた。
手早く白木の棚を組み立て、しきみや、線香、ろうそく立てをならべる。
「ご飯、ありますか? お茶わんにもってください」
「あ、忘れてた」
モグに頼んで、すぐにご飯を一合、炊いてもらう。バーサンの使っていたお茶わんに山盛りにして、箸を立ててさす。

R君が「僕、花を買ってくる。あと、何か好きなもの」。
「じゃあ、スーパーの前の花屋さんで、お仏壇用のとおばあちゃん用のと、ふたつ作ってもらってきた。あと、スイカかな。おばあちゃんが好きだったから」
Gサンが「俺が買いに行こうか」と言ってくれたけど「そこに居てください」とお断りし、R君に頼む。「わかった」と、飛び出すR君。フットワークの軽さが頼もしい。

そうこうしているうちに、Yさんがまた来てくれる。花と、家族用に食べ物を沢山もってきてくれたのだった。
「このお花、おばあちゃんに…」と。
黄色いスプレー菊とピンクのアルストロメリア。
「わあ、ありがとう」と、すぐに枕元にあげる。Yさんの心配りが嬉しい。
「バーサンにお線香をあげて」と頼む。「なんか、さっきより距離ができちゃう感じだけど」
「そうだね」と苦笑しながら、Yさん、手をあわせてくれた。
食べ物は、もう、たくさんあった。揚物、美味しいと評判の店のコロッケ、ハムかつ、卵焼き、煮豆、ひじき、トマト……。
「ご飯だけあれば食べられるでしょ。総菜屋ので悪いけど。ひだねこはご飯のしたくなんてしていられないんだから」と。
涙が出るほどうれしかった。またもやハグ。
(Yさんの持ってきてくれた食べ物には、ほんとうに助かった。それぞれが手の空いた時に食べ、それでも残ったので、夕御飯にも食べた)

遺影は、R君が用意してくれた。
以前から、バーサンの遺影のことは気になっていたんだ。何年も前から。それで近所の公園に花見に行った時など、さりげなく、それ用のも撮っていた。実はバーサン自身も「遺影用に」と和服の写真をとっていたのだけれど、それが60代(笑)。100歳過ぎにつかうには若過ぎる。
バーサンが今回、経管で退院になったときから、遠からずこの日がくる、と覚悟して、これまで撮り貯めた中から10枚くらい選んでいたんだ。
あの日のこと・5月23日(水)・臨終_f0016892_2214526.jpgその中からさらに3枚にしぼり、R君がデータを持って紙焼きにして額装してもらってきた。途中「トリミングこれでいい?」とメールで聞いてきたりして。
葬儀社の人が打合せをしている間に、もうでき上がって持ってきた。S山さんが「いい写真ですね」と言ってくださった出来だ。

葬式の打合せ。お通夜や葬儀はどこでするか。自宅か、寺か、葬儀社か。寺でやりたかったけれど、こぢんまりした葬儀には向かないという。自宅では接客に手がいるだろう。結局、葬儀社ですることになった。近くの、セレモニーチェーンではなく個人営業の葬儀社だから行きやすいし。

この辺から、感情ではなく事務的な話になる。交渉はGサンに頼んだ。葬儀社とのやりとりで「喪主もご主人がいいでしょう」ということになった。よかった。前から、娘であるわたしが喪主になるように言われていたんだけれど、そうすると、Gサンは引いちゃうから。わが事として受け止めずに、逃げちゃうだろうから。名目、喪主になることで、かかわらざるを得なくなる。

ただ、ひとつ、ひとつ、聞いてくる。葬儀社の「○○万円」というのは、基本の飾り付けの値段。花はどうしよう。お寺様は何人よぶか。ひとり、ふたり、さんにん? お棺は? 参列者にお渡しする香典返しはどうする? 通夜ぶるまいはどうする? お斎は? どこにする? 何人くらい? いくらくらいのにする?
バーサンは「質素に」と言ってた。わたしたちも、そう予算が無い。質素に、でも寂しくないように。ひとつひとつ、きめていく。途中からわたしは引いて、全体の出せる枠だけGサンに伝え、あとはGサンとR君にまかせる。
お布施の額は、寺院から伝えてきていた。分かりやすくていい。住職は本山に行っていていないので、副住職さまと、伴僧と、それぞれの値段が示されていた。戒名代は不要という。

……………

夜、眠れない。1時間おきに目が覚めていた。
もう、夜間のおむつ替えも要らないのに。
もう、バーサンの容体を気にしなくてもいいのに。
目が覚めるたび茶の間のバーサンの前に座る。白木の(なんて言うんだろう、経台?)の前に座る。葬儀社のS山さんが言っていた。「生仏(なまぼとけ)さまが居る間は、線香を絶やさないように言われています」と。そうか、生仏というのか……と変な実感。

今はいい線香があるのね。細い線香が、蚊取り線香のように渦巻き状になっているの。12時間持つという。ロウソクも、プラスチックの容器にはいった太いものは、24時間もつという。
手を合わせる、というのとも違う。ただ、バーサンの傍にいて、また寝に行く。小一時間して目が覚めて、またバーサンのところにいく。
そんな夜だった。
長い一日だった。

でも、どこにも涙はなかった。
あ、一度だけ……
明日、納棺になるという。わたし、安っぽいピラピラの化繊の白い経帷子が嫌いだった。出来れば、バーサンの好きな和服で送りたいと思った。
葬儀社のS山さんが「納棺師さんにお願いするので、大丈夫ですよ。年配の方は和服をもっていらっしゃる。好きな着物を用意してあげてください」といわれた時。おもわず涙ぐんだ。バーサンを、バーサンとして、人格を持った人としてあつかってもらえる、それが嬉しかった。
それで、Yさんに一緒に着物を選んでもらったんだ。バーサンが以前ならっていた謡曲、お仕舞の発表会で着ていた薄藤色の着物。一つ紋だけど紋付きだから略正装であるから、バーサンも喜んでもらえると思った。
by hidaneko | 2012-06-04 22:46 | かいご | Trackback | Comments(5)
Commented at 2012-06-05 17:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2012-06-05 17:13 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hidaneko at 2012-06-05 17:24
>鍵さま

優しいお言葉ありがとうございます。
まだ書かせていただきます。つづき。
楽しい話ではないかも知れないけど、書いておきたいので。
すみません。
Commented at 2012-06-06 13:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hidaneko at 2012-06-06 22:47
>鍵 at 2012-06-06 13:35さま

ありがとうございます。
臨終から葬儀まで書いておきたいので、おゆるしください。

葬儀の日に斎場の周囲で香っていたニセアカシアが、
同じ道を通った今日は散り、花殻が道を白くしていました。
そんな時も、ふっと、バーサンのことを思い出したりして…。


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