記憶の断片ー3

今日は亡姉・I子さんの祥月命日だった。
あの日、あの人、起きてこなかったんだ。
前夜、わたしにふつうに「おやすみなさい」を言って、寝にいったのに。
朝、バーサンが起こしに行ったら冷たくなっていた。
その当時は「ぽっくり病」と聞かされた。急性心不全?
生きている最後に会ったのは、高校二年だったわたし。
死んでいるのを最初にみつけたのは、バーサン。

わたしは、そのときのバーサンの年齢を超えてしまった。
愛する娘を、いきなり亡くした親の気持ち、いかばかりか。

じつは、先日、漆塗の文箱をたまたま開けてみたの。
使っていない古い便箋や封筒がはいっていて、その底の方から、父親の手紙がでてきたんだ。
愛娘を亡くした、その年の暮れの日付だった。父も母も親しくしていたお寺の住職あての手紙。
あとを追って死にたかった、とあって、
わたし、「………」。
まあ、そうだろうなとも思いつつ、
あの気丈なお父さんが、という思いも重ねつつ
あの当時「生きているわたしはどうなの?」と思った記憶も浮かんでね。
亡くした愛娘を思うあまり、生きて、ここにいる、わたしが、蔑ろにされているような。

そして、今日、この日、
納戸の整理をしてて、図画の紙をまるめたのが出てきたの。
姉たちの絵だった。小学生の頃の。
亡姉・I子ちゃんは、絵がうまくてね。図画教室にも通ったことがあったっけ。
姉・Yちゃんの絵も出てきたけれど
彼女が「わたしは絵が下手で、ずっとコンプレックスだった」というほど下手な絵でもなかった。
ただ、担任のハンコが裏に押してあって、Yちゃんの担任だった福田先生、検印しか捺してないのね。あれって、どうかと思う。

で、わたしの絵は、とってなかった。一枚も。「つるたぐり」って、そんなもんよ。(笑)

なんで、今更、こんなことを書いているかというと、先日の姉Yさんの一件から、まだ、わたし、ひきずっているみたいなんだ。

Yさん、あなたは、自分で言うほど、かわいがられていなかったわけじゃないのよ。頭脳明晰、頭がいいと母親の自慢だったYさん、「母親は、わたしをも、自慢の種につかった」と、批難していうけれど、百歩譲ってたとえそうだとしても、人間って変わるものなのよね、変えられるのよね。

わたし、今の自分を誰のせいにもしたくない。そんなのみじめすぎる。

   やったことは やりたかったこと
   やらなかったことは やりたくなかったこと

工藤直子の言葉がわたしのお守り言葉。自分がこけないための杖ことば。
人生の岐路、選択肢はいくつかあったはずだけど、この道を選んできたのは、じぶん。腹くくります。

だってさ、
♪うらみま〜す うらみま〜す♪ とやっていたら
一番うらみたいのは、四十数年前の今月今夜死んでしまった姉のことだもん。
「あんたが急死してしまったおかげで、わたしの人生、変わってしまったんだから」って、居ないひとをせめても仕方ないことだもん。(笑)

四十数年前の今日、お通夜?
亡姉の好きだったピンクのバラが咲いていたっけ。
亡姉の好きだったThe Beatlesの「Yesterday」をかけたら、LP「HELP!」の次の曲が、そうぞうしい「Dizzy Miss Lizzy 」で、それまで流れてしまって、まいっちゃったっけ。(^^ゞ
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by hidaneko | 2010-06-15 23:54 | かぞく | Trackback | Comments(0)
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